萩原編集長のヒマラヤ未踏峰挑戦記 Outlier East 7035m

004 世界最忙? クライミング雑誌編集長

Date 2013年09月09日(月)

 世の中には「インターナショナル・クライミングエディターズ・サミット」なるイベントがあります。これは世界中のクライミング雑誌の編集長が一堂に会し、それぞれの国の登山事情について情報を共有しながら、ともにクライミングを楽しみ、親交を深めようといった趣旨のもと、2009年にアメリカのコロラド州で開催されたものです。

 初回の参加メンバーは10カ国24人。 ゴールデンにあるアメリカ山岳会本部に集まった各国の編集長は、エルドラド・キャニオンからユタ州の砂漠地帯へと移動し、キャッスルトンタワー、フィッ シャータワー、インディアンクリークなどでクライミング三昧の日々を楽しみました。夜はモアブ砂漠で盛大な焚き火を囲みながらのキャンプ。まさに浴びるよ うにビールを空けて親交を深めたものです。

 第2回目の会合は2011年 秋のドイツ。おりしも世界最大のビールの祭典、オクトーバーフェストの期間中で(ホスト国のドイツはこれを計算してた?)、初日からミュンヘンの特設ビア ホールで特大ジョッキを傾け、翌日からはフランケンユーラやフリークライミング発祥の地と言われるエルベ砂岩地帯などでクライミングを楽しみつつ、「インターネット時代におけるクライミング情報発信のあり方」などをテーマに話し合ってきました。

 で、彼らとの交流のなかで、とにかく皆が驚いていたのが日本の剱岳の雪の物凄さ。

こ れはあらかじめ空撮や黒部横断などの強烈な写真を用意していったので、その反応は想定内でしたが、やはり彼らは青い目を丸くして食い入るように画面に見 入っていました。そして、標高は低くとも日本にはヒマラヤに匹敵する厳しい雪山があり、ギリギリボーイズに代表される世界水準のクライマーたちはここをト レーニングの場として育ってきたという背景について、十分に納得できた、との感想を得たものです。

 そしてさらにもうひとつ、彼らが等しく驚いていた(というかあきれていた)のが、ニッポン人(というか私自身)の仕事の密度でした。

 『ROCK&SNOW』と『CLIMBING joy』、合わせて年間6冊は、実質2人で編集していること。そしてそれは私にとって必ずしもメインの仕事ではなく、ほかに単行本を8冊、カレンダー5冊、DVD登山ガイドの編集・執筆なども担当し、年間で計20タイトル以上を刊行していること。平均睡眠時間は3時間程度で、今回も帰りのルフトハンザ機内で読むためのゲラをかかえてきたことなどを話したところ、皆に言われたのは「あんた、働きすぎ」。

 ま あ、たしかに今も会社のデスクでシッティング・ビバークを日常茶飯事としている現状ではありますが、先日、少し似た環境にある韓国人ジャーナリストと深夜 のメールのやりとりをしていたときに言われたのが「ハギワラさん、あなたは休みを必要としているよ(直訳)」。とうとう彼に同情されてしまったということ は、やはり山岳雑誌の編集者としては「世界最忙」と言えるのかもしれません。

 ちなみにこのブログの左右に紹介している雑誌・書籍・カレンダー・写真集は、今年4月から9月までの半年間に私が担当したものです。半年で雑誌を含めて11冊は頑張り過ぎ? なのかもしれませんね。 

 ということで、どうやら「休みを必要とされる」編集長としては、来週から約40日ほど会社を留守にさせていただき、ヒマラヤの風に吹かれてくることにしました。夏休み全部と勤続30年記念のリフレッシュ休暇、それに、たしか過去15年くらいは有給休暇をとっていなかったことなどを考えれば、20日ちょっとの休暇は許していただけるのかな……と、甘えさせていただきたく思います。

 ただですね、長期間休むということはそれだけの仕事を前倒しですすめなければならないわけで、この「仕事の山」がじつに険しい。もしかするとヒマラヤの山よりも険しい。出発まで10日を切った今、超爆速モードで仕事の山を登攀中でありますが、ともあれ無事に出発できるように頑張ってみることにします。

第一回エディターズサミットで登ったキャッスルトンタワー

写真=第一回エディターズサミットで登ったキャッスルトンタワー(右端の尖塔)

キャッスルトンタワー2ピッチ目の登攀

下=キャッスルトンタワー2ピッチ目の登攀

 

003 ヒマラヤ未登峰挑戦記~プロトレックに「Janak Chuli」モデル

Date 2013年09月04日(水)

私たちが目指す山「Janak Chuli」っていったいどんな山なのだろう? 
そう思ってインターネットで調べてみると、なぜか腕時計の宣伝が出てきます。

「Casio PRG-550-1A4ER Janak Chuli Pro Trek」

なんと、ヨーロッパでは「Janak Chuli」の名前を冠した時計が発売されていたのです。それにしても、よりによってJanak Chuliとは! 

ドイツ語圏内ならば日本の「マナスル」モデルのように、「ナンガ・パルバット」や「ガッシャブルム」など、そりゃあもういくらでも初登攀に絡めてメジャーな山名も使えるはずなのに、なぜ「Janak Chuli」なのか?

日本の山にたとえるとすれば、「富士山」や「穂高岳」ではなく「中盛丸山」や「横通岳」を主力製品に命名するような暴挙であります。ヨーロッパ・カシオの販売戦略担当者はいったい何を考えているのだろう。それとも彼の地で「Janak Chuli」はそれほどまでにメジャーな山なのだろうか。

で、さらに調べてみると、他にも山名が付けられたモデルがいくつか出てきました。その名はギャチュン・カン、ナイプン、グルジャヒマール・・・・・・。これもまた、かな~り玄人好みの山ばかりですな。参りました。

ぜひともネーミング効果の検証をお願いしたいものですね。

だがしかし、少なくともここにひとりだけは、そのネーミングをきっかけに購入した日本人がいます。もちろん私です。ネットで見つけたその日に注文してしまいました。

当然、連れて行きますとも、この時計を。この子の名前の由来となった山に。

できることなら山頂まで・・・。

 

 

写真:プロトレック「Janak Chuli」モデルが掲載されていたドイツのウェブサイトより
CASIO janak Chuli

002 ヒマラヤ未踏峰挑戦記~アウトライアー(ジャナク・チュリ)とは

Date 2013年09月02日(月)

アウトライアー(現地名: Janak Chuli)とは、ネパールと中国チベット自治区との国境にそびえる標高7090mのヒマラヤの高峰です。そのユニークな山名の由来は、コンサイス外国山名辞典によると「1911年、イギリスのA.M.ケラスが3度目のシッキム入りをし、ジョンサンピークの一周を試みたが、この山の南麓で行きづまった。このときに英語で局外者、転じて離れ島と命名」とされています。

実際にアウトライアーの南面は、ブロークン氷河の果てに標高差1000mを超える大岩壁となって切れ落ちており、100年前の登山隊にとってそれは登攀対象以前の存在であったことでしょう。そしてその後、ネパール・ヒマラヤの東のはずれに、まさに「離れ島」のように大岩壁をそばだたせて屹立するこの峰には、長い間、挑戦しようとする者は現われなかったのです。

2000年、「登攀困難な未踏峰」を志向するスロヴェニアの登山隊が、初めてアウトライアーの登頂を目的にブロークン氷河を訪れました。それから試登と敗退を重ねた末の2006年、アンドレイ・シュトレムフェリら、ふたりのスロヴェニアチームによってアウトライアー主峰(西峰)は登頂されたのです。彼らはその前年に東峰(標高7035m)の初登頂もめざしていましたが、悪天候のために断念。東峰のみ、未踏のまま残されることになりました。

2010年、青山学院大学山岳部パーティは、スロヴェニア隊が果たせなかった東峰の初登頂を目指してブロークン氷河に入山。天候にも恵まれ、順調に南西壁の標高6800m地点までルートを切り開きましたが、不安定な雪壁に行く手を遮られ、日数が不足していたこともあって、やむなく撤退。こうしてアウトライアー東峰は、地球上に残された数少ない7000m級の未踏峰として、今もヒマラヤの空高く聳えているのです。

このたび、青山学院大学体育会山岳部および同山岳部OB会(緑ヶ丘山岳会)におきましては、アウトライアー東峰に再度、挑戦することになりました。

今回はOB会長の萩原(山と溪谷社)が総隊長となって参戦。前回、最高高度に迫った村上隊員が登攀隊長として再挑戦します。OB3名、学生3名の計6名による登山隊で、2010年の経験を生かし、南西壁右端のガリーから前回の最高到達地点を越えて頂上をめざします。

登山方法は、メンバーの力量と登山経験をかんがみて前回同様、固定ロープを使用し、前進キャンプを設けるオーソドックスな登山スタイルを選択。退路を確保する安全重視のタクティクスで、確実に登頂できるように計画を立てる予定です。

今回も前回同様、現役の山岳部員3名を交えてのメンバー構成になりました。大学山岳部の良いところは、OBと現役部員とが世代を超えて同じ目標に向かっていけるというところにあります。OBと現役相互の協力体制のもと、そしてOB会や大学関係者、体育会関係者、さらに登山の趣旨にご賛同いただけるさまざまな方々からの支えを得て、登山隊一同、持てる力をフルに発揮し、ヒマラヤの未踏峰に挑戦してくる所存です。

青山学院大学山岳部OB会会長/2013アウトライアーEAST登山隊総隊長  萩原浩司

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写真: キャンプ2(標高5700m)から見たアウトライアー東峰南西壁と登攀予定ルート

001 【ごあいさつ】ヒマラヤ未踏峰挑戦記~はじめに

Date 2013年08月29日(木)

みなさん、こんにちは。山と溪谷社、山岳・自然図書出版部の萩原浩司(はぎわら・ひろし)です。このたび唐突に登場したこのブログですが、私・ハギワラがヒマラヤ登山に行くことがきっかけでした。

参加するのは私の母校である青山学院大学山岳部の登山計画です。
めざす山は、ネパール・ヒマラヤのアウトライアー(現地名=ジャナク・チュリ)東峰。
ネパールの東のはずれ、中国との国境にそびえる7035mの高峰です。
近くにはカンチェンジュンガ山群があり、すぐ東隣はインドになります。

ここはアプローチに時間がかかることもあって、エベレスト街道などの人気ルートに比べると極めて入山者も少なく、さらにアウトライアー周辺となれば日本人の記録はほとんど見当たりません。まさにアウトライアー(局外者、離れ者)といった山塊なのです。

2年前、青山学院大学山岳部は同峰の初登頂をめざして入山し、山頂まであとわずか、というところまで迫りました。 しかし残念ながら標高6800m付近で不安定な雪の壁に阻まれてやむなく退却しています。 そして今年、周囲から「再挑戦はしないのか」「OB会長が出て行かなくてどうする」といった声が上がり、また、いちばんの課題であった休暇の取得については、勤続30年のリフレッシュ休暇制度があったことなども思い出して、思い切って参加することにしたのです。

今回のメンバー構成は、学生3名にOB3名の計6名。
登山期間は9月8日から10月29日までの51日間。
そのうち、どうしても仕事から抜けられない私と村上登攀隊長の2名が1週間遅れでヘリコプターで入山し、中間のキャンプで合流する予定です。

すべての計画が順調で、予定どおりにコトが運べば、10月10日前後に初登頂のお知らせができることでしょう。しばらくはこちらのブログと、青山学院大学山岳部のホームページを使って、登山の様子を報告していきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。

青山学院大学アウトライアー東峰登山隊2013 総隊長 
萩原浩司(山と溪谷社 山岳・自然図書出版部部長 兼『ROCK&SNOW』編集長)

Outlier_Janak Chuli_East

(写真)
今回、初登頂をめざすアウトライアー東峰(右側のピーク、標高5500mのキャンプ1より)

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