1936年1月8日、北アルプス槍ヶ岳の北鎌尾根で、加藤文太郎と吉田登美久が消息を絶った。加藤は「生まれながらの単独行者」と呼ばれた、当時でも伝説の登山家だった。
  彼は、案内人を同行する登山があたりまえだった時代に、冬の北アルプスを単独で駆け巡り、数々の記録を打ち立てていた。
  しかし、加藤は特別な存在でもなければ、超人的な力をもっていたわけでもない。自分の行為に悩み、行く先に悩む、普通の男だったのだ。ただただ山を愛し、誠実に向き合うがゆえに苦悩せざるを得ないその姿を、谷甲州が鮮やかに描く。

  彼はなぜ単独行(ひとり)を選んだのか、そして、なぜ苛烈な冬山を志向したのか——。

  緻密な山岳描写と克明な心理描写により、まったく新しく、しかし、史実に即した加藤文太郎の姿が、今よみがえる!
一時はおさまりかけていた風が、また激しく吹きはじめた。
  猛々しさを感じさせる風だった。屋内にいてさえ、大地を揺るがすような風鳴りが伝わってくる。重く遠い音だった。轟々と唸りをあげて、空の奥ふかいところを通過していく。その上に、叩きつけるような物音が重なった。こちらの音は近かった。風とともに押しよせてきた飛雪が、建物の外壁に衝突して乾いた音をたてているらしい。
  ――このまま夜が明けてしまうのか。
  甲斐明寛は夜具にくるまったまま、その音をきいていた。風の音で浅い眠りを破られたまま、寝つけなくなってしまったのだ。昨夜おそく宿に到着したときから、途切れることなく吹いているようだ。
  宿の者によれば、こんな天気が一週間以上もつづいているらしい。曲がりなりにも天候が安定していたのは元日だけで、二日以降は連日の暴風雪だという。
  またひとしきり、風が吹き荒れた。甲斐は耳をそばだてた。それまでとは違う甲高い音が、あらたに加わっていた。怪鳥の啼き声を思わせる異様な風音だった。一時的な現象ではない。長く尾を引いて、いつまでも鳴っている。
  風向きがかわったのかと、甲斐は思った。そのせいで、風の通りすぎる道も低くおりてきた。遠雷のようにどろどろと響く上空の風と違って、低空を吹く風はするどい風切り音をともなっている。地形をからみ、衝突して風向をねじ曲げられるからだ。谷にそって吹きおろしてくるときには、別の風に変化している。
  気がつくと外壁を叩く音も、微妙に位置がずれていた。やはり風はまわり込んでいるようだ。ときおり建物の奥深いところから、不気味なきしみ音がきこえてきる。風圧の変化に対応しきれず、柱の芯が鳴っているのだろう。

アラインゲンガー=Alleinganger。
ドイツ語で、単独行者のことをさす
「わが国にも多くの単独行者を見いだすが、大部分はワンダラーの範囲を出でず、外国のアラインゲンガーの如く、落石や雪崩の危険のため今まで人の省みなかったところを好んで登路とし、決して先人の後塵を拝せず、敢然第一線に立って在来不能とされていたコースをつぎつぎとたどる勇敢な単独登攀者(水野氏著岩登り術)とは似ても似つかぬほどの差があるであろう。
(中略)
外国にはパーティの一員がスリップした場合に、これを他の隊員が支持しえないような物凄い岩場から生れたアラインゲンガーがあるそうだが、かくの如き優秀なアラインゲンガーをつかまえてアラインゲーエンの危険をとく人もあるそうだ。だから単独行者よ、見解の相違せる人のいうことを気にかけるな。もしそれらが気にかかるなら単独行をやめよ。何故なら君はすでに単独行を横目で見るようになっているから。
(中略)
単独行者よ強くなれ!」

(『単独行』(加藤文太郎 著)より)

【加藤文太郎 年譜】
山行記録について主なものを抜粋しました。
(『新編・単独行』巻末より引用)


1905(明38)年3月 兵庫県浜坂町に生まれる
1919(大8)年4月 三菱内燃製作所に入社
1925(大14)年
 8月 蓮華温泉〜白馬〜大町〜吉田口〜富士山〜御殿場(6日・単独)
1926(大15)年
 7月 燕〜大天井・槍・前穂〜上高地〜乗鞍〜御岳〜木曽駒(11日・単独)
1927(昭2)年  
 7月 広河原〜赤石〜聖〜荒川〜塩見〜農鳥〜間ノ岳〜北岳(8日・単独)
 8月 烏帽子〜五郎〜赤牛〜三俣蓮華〜上ノ岳〜薬師〜五色〜針ノ木〜爺〜鹿島槍〜五龍〜唐松(8日・単独)
1928(昭3)年
 2月 鉢伏山〜氷ノ山(3日)
 3月 扇ノ山(3日・単独)
 5月 藤橋〜立山〜剱〜藤橋(5日・高山岳へ最初のスキー使用、同行者他2名) 横通岳〜槍〜北穂〜涸沢〜奥穂〜前穂〜徳本(5日・単独)
 8月 徳本〜西穂〜奥穂〜蒲田〜笠〜双六〜槍〜徳本(4日・単独)
1929(昭4)年
 1月 夏沢峠〜硫黄〜横岳〜赤岳〜夏沢温泉、番所〜乗鞍往復(7日・単独)
 2月 常念一ノ沢を試み引き返して沢渡より上高地に入り槍往復(7日・単独)
 4月 柏矢〜常念〜横尾〜奥穂〜一ノ俣〜徳本 (4日東大山岳部桑田氏に会い同氏にリードせられ奥穂に登る)
1930(昭5)年
 1月 藤橋〜弘法〜松尾峠〜立山〜軍隊剱〜松尾峠〜藤橋 (7日・単独、弘法にて土屋氏一行と会い3日剱沢小舎で再会したが 別れて室堂に入る。後、土屋氏一行遭難) 上高地より槍往復(5日・単独)
 2月 藤橋〜弘法〜立山往復(5日・単独) 上高地〜横尾〜槍沢〜奥穂〜涸沢〜上高地〜徳本(6日・単独)
1931(昭6)年
 1月 猪谷〜真川峠〜上ノ岳〜薬師〜黒部五郎〜三俣蓮華〜鷲羽〜烏帽子 〜濁〜大町(10日・単独)
 2月 鹿島槍〜源汲峠〜針ノ木〜蓮華〜大沢〜猿倉〜白馬尻(8日・単独) 藤橋〜弘法〜剱〜立山〜藤橋(10日・単独)
 3月 氷ノ山〜鉢伏山
1932(昭7)年
 1月 八方尾根〜唐松小屋〜五龍往復〜不帰キレット往復〜八方尾根〜細野〜猿倉 (7日・単独)
 2月 上高地〜槍肩小屋〜槍(二回)〜抜戸〜笠〜肩小屋〜上高地〜猿倉 〜鎗〜白馬(10日・単独)
1933(昭8)年
 1月 御殿場口富士往復、帰途黒沢口より御岳(6日・単独)
 3月 上高地〜槍〜北穂〜涸沢岳〜奥穂〜前穂〜岳川〜上高地〜乗鞍 (10日・単独)
 4月 徳本〜南霞沢岳〜槍〜横尾〜奥穂〜徳本(4日・一部単独)
1934(昭9)年
 1月 ブナ小屋滞在(6日・単独)
 3月 若桜〜沖ノ山〜三室山〜三国岳〜氷ノ山〜戸倉峠(5日・単独)
 4月 上高地〜前穂北尾根〜奥穂〜上高地〜冷泉〜乗鞍(8日)
1935(昭10)年
 1月 花子と結婚 11月 長女、登志子生まれる
1936(昭11)年  槍ヶ岳北鎌尾根にて、吉田登美久とともに消息を絶つ
1936(昭11)年 『單獨行』(私家版)刊行
1941(昭16)年 『單獨行』(朋文社)刊行
1964(昭39)年 加藤文太郎をモデルにした小説、「孤高の人」(新田次郎 著)が『山と溪谷』にて連載開始
1969(昭44)年 『孤高の人』(新潮社)刊行
1970(昭45)年 山岳名著シリーズ『単独行』(二見書房)刊行
2000(平12)年 『新編 単独行』(山と溪谷社)刊行 そして……

2010(平22)年『単独行者(アラインゲンガー) 新・加藤文太郎伝』刊行!