武村岳男さん
知性と感性、ヘッドとハートで歩きたい。
最近「歩行スポーツ」という言葉を使い始めた武村岳男さん。トレッキング、ハイキング、ウォーキングといった垣根をなくし、登山と散歩を除いた3種目は、もっと渾然一体としたものでいいはずではないかという。JRの「駅からハイキング、ウォーキング」の立ち上げに参画するなど、長くこの世界を牽引してきた武村岳男さんに聞いた。
(聞き手=久保田賢次 『週刊ヤマケイ』編集長)
久保田:この夏も、いろいろな場所へ出かけられたと思います。どこが特に思い出に残っていらっしゃいますか。
武村:9月23日に富士山の御中道に行ったのですが、スロープが実に優美でしたね。直線でもないし曲線でもない。眺めているだけでも退屈しません。ちょうど森林限界ですので、道の下が樹林、上は赤茶けた砂礫帯。風雪の影響によるダケカンバの幹の曲がり具合もいいですね。
6月下旬に行った北海道のオンネトーも良かったです。「大きい湖」という意味なのですが、雌阿寒岳と阿寒冨士が湖面に映り、とても印象的でした。
久保田:武村さんは、どうして、「歩く」という趣味と出会ったのでしょうか。
武村:きっかけは高校3年の夏休みでした。野球少年だったのですが、夏の大会が終わると、もうすることもなく、体が鈍ってしまいます。「山登りでも始めようか」と、燕岳から槍・穂高へと出かけてから、やみつきになりました。
埼玉県西部の川越にあった私の母校は、当時珍しく土、日が休みでしたので、歩いて奥武蔵や外秩父まで行ったりもしました。まだウォーキングという言葉もない時代です。動機が「なにかスポーツがしたい」ということでした。それが「歩行スポーツ」という言葉にもつながったのだと思います。
久保田:お若いときから、山麓を歩く魅力にも気づかれていた。それが、あの『日本百名山を眺めて歩く』の著書にも結びついたわけですね。
武村:はい。深田久弥さんとは、新聞記者や雑誌編集者時代に十数回歓談する機会に恵まれまして、山に対する考え方を学びました。山を文学、芸術、歴史、科学など多方面からとらえるという点です。
ある時、小海線で九州からいらしたご夫婦と同席になったことがありました。主人は絵画を夫人は俳句を趣味にしていらして、全国紙に載った「松原湖と八ヶ岳」の初冬の写真に魅せられて、旅の人になったとのことでした。「そうか、わざわざ、山を見に来る人がいる」。それがヒントになりました。
久保田:これから季節、近郊ですと、お勧めのコースはありますか。
武村:私の住まいの千葉県我孫子から近くですと、つくば研究学園都市はどうでしょう。つくばエクスプレスの駅から北へ向かい筑波大学構内へ。紅葉やイチョウ並木がみごとです。外に出ると「日本の道100選」にも選ばれた東(ひがし)大通り。さらにつくば植物園や、筑波宇宙センターなど見学できる施設も沢山あります。みなさんも、お住まいの近くで、ぜひ、いいコースを見つけてみてください。