舩越 仁さん
積雪期の岡山・鳥取県境160㎞を45回目で踏破完了。

大山にて。角原覚副隊長(左)と舩越仁隊長(右)。2015年3月31日撮影

大谷山で、はしゃぐゆきんこ隊。2014年2月23日撮影
週刊ヤマケイに毎週のようにご寄稿をいただける岡山市の舩越仁さん。3月26日の通巻132号には、こんな見出しでのご寄稿をいただきました。平均年齢70歳の方々による冬季の継続縦走。リーダーとして牽引された舩越さんに聞きました。
(聞き手=久保田賢次/『週刊ヤマケイ』編集長)
久保田:達成おめでとうございます。2012年12月に広島鳥取岡山県境の三国山から歩き始められたということですが、足かけ4年。とても長い期間でしたね。
舩越:振り返るとよく続いたものと思います。当初は、ひと冬にどれだけとか、目標は課さずに、気楽に楽しむつもりだったのです。それが3年目には、加齢に追いかけられていることに気付き、わが身に鞭を打ちました。何もせずに過ごしては、あっという間に年月の過ぎ去る高齢者にとりましては、久しぶりにアクセントの付いた年月になったと思っています。73歳にしては上出来です。
久保田:そもそも舩越さんが、この継続縦走を思い立ったきっかけは、どんなことからでしたのでしょうか。参加メンバーの方々はどのように選ばれたのですか。
舩越:大山や蒜山の他、県北の手頃な雪山を手当たり次第に遊んでいたのですが、次の山をどこにするのか面倒になって来ましてね。継続縦走なら、その手間が省けます。計画は経験豊富な同い年の角原覚副隊長が主で、私は音頭取りでした。
日本山岳会は、100周年記念事業として中央分水嶺踏査を各支部総掛かりでやられましたが、岡山鳥取県境に限るとはいえ冬季の全踏破の記録はなく、この160㎞に高齢者のロマンを求めることにしました。
全体的には1000m級の雪稜なので、メンバーには全く条件は付けませんでした。最初は私達の所属会(みつがしわ山の会)の中で募りましたが、元々そんな枠はなく、雪との格闘を好む人なら誰でも参加してもらいました。一度でも参加すれば隊員とし、総員は21名に上りました。最終回のフィナーレ山行では通期最高の10名の盛会になりました。
久保田:160㎞の県境の道のりには難所もあったでしょうし、大変なことも多かったのではないでしょうか。舩越さんの次の目標についても教えてください。
舩越:何しろ登山道のないルートなので、どこに何があるのかは全く分かりません。厳しいナイフリッジや雪庇、行く手を阻む岩もありました。それ以上の難関は稜線までのアプローチと距離、離脱のルート尾根の判別でした。
また、県発表でツキノワグマが200頭も生息するという山域なので、鈴、音楽、笛は欠かせませんでした。現に3月の最終回には足跡と糞に遭遇しました。結局、45回全踏破は副隊長の角原氏と私だけになりました。原則2点駐車なので、ふたりの都合が優先した結果です。
具体的な目標は未だありませんが、80歳までは山に登り続けたい。それも何かに対して常に挑み続けたい。挑戦とまでは行かなくていい、挑む気持ちを忘れないことが大切と思っています。