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山への情熱を感じた志水哲也の登攀記

連載第8回(著者=木元康晴/登山ガイド)

驚きの単独行者

私が山岳会に入会して足かけ3年目となる1992年は、とても充実した登攀のできた一年でした。特に谷川岳一ノ倉沢の中でもっとも困難とされる衝立岩は、念願だった雲稜第一ルートを含め4ルートを登攀。満ち足りた思いを感じていました。

書店で『大いなる山 大いなる谷』という本を見つけたのは、そんな岩登りに明け暮れていたときのこと。何だか古臭いタイトルの本だな、というのが第一印象でした。

ところが手にとって目次を見てびっくり! 最初の夏季の北アルプス全山縦走はまだしも、次章の黒部の谷では、たくさんの困難な谷の名前が並んでいます。これらをすべて登ったというのは驚きでした。さらに私が苦労して登った衝立岩は、単独で登っているとのこと。積雪期の南アルプスや北海道の長期縦走の章もあります。

これだけ登っているのならば、長年に渡って経験を積み重ねた相応の年齢のエキスパートクライマーなのだろう――そう考えて著者のプロフィール欄を見て、またびっくり。志水哲也というこの人は、私よりもたった1歳年上にすぎない、27歳だったのです。

最初のほうを斜め読みすると、志水氏が山に打ち込むようになったのは高校生のときとのこと。スタートは確かに早いのですが、たった1つ歳が違うだけで私の数倍にも及ぶ登山経験を持っているとは…。それまで感じていた満ち足りた思いが、吹き飛ぶほどの驚きでした。

さっそくこの本を入手して読み進めると、もう一度びっくり! 目次に「単独」と書かれていた衝立岩だけでなく、黒部の谷も冬の長期縦走も、そのほとんどが単独行なのです。中でも極めて困難とされる、剱沢大滝も単独で登っているのは大変に驚くべきことでした。文章は荒削りながらも迫力があり、一気に読み終えました。

この3冊は志水哲也氏の初期の著書。他には『剱 TSURUGI』『黒部』『日本の幻の滝』といった写真集も出版されています。

現在は写真家としても活躍中

志水氏の山行スタイルの特徴は、単独行であることのほかに、オールラウンド志向であることが挙げられます。90年代前半の当時は、山に打ち込む若者の大半は徹底的な岩壁志向。沢登りや雪山縦走は、やや本筋からは外れているというイメージがありました。けれども志水氏は自分が意欲を覚えるならば、対象にはこだわらずに力を注いでいました。当時の私は所属する山岳会の方向性から離れることができず、無条件に岩登り中心で山行を計画していたのですが、志水氏のことを知ると、その自由さに憧れを感じるようにもなりました。

そして志水氏のもう一つの特徴は、強い反骨精神です。著書中には一般的な生き方の規範を外れることを咎める社会の風潮に、真っ向から反論する記述が少なくありません。確かに25年ほど前は、学校を出たらただちに就職し、数年後には家庭を持つのが当然とされていました。定職に就かずに山を登り続ける志水氏は、おそらく周囲の「大人」の人々から、厳しく批判されることが多かったと思うのです。

そういった周囲からの批判に対する反論は、1995年に出版された志水氏の次の著書『果てしなき山稜』のほうがより顕著です。今になって読むと、ストレート過ぎてちょっと気恥ずかしさも感じるのですが、周囲から同じような批判を受けていた当時の私には、自分の気持ちを代弁してくれているように思えて、うなずきながら読んだものです。

なおこの『果てしなき山稜』も、山の記録としても読み応えがあります。積雪期の北海道の、日高山脈と石狩山地と北見山地とを結び、襟裳岬から宗谷岬までをやはり単独で歩いた壮大な紀行文です。

その次の1999年に出版された『黒部へ』は、富山県の宇奈月に移り住み、山岳ガイドとなった志水氏の山行記録とエッセイをまとめた本。前2著と比べると、グッと落ち着いた書き口で、黒部についての様々な事柄が記されて興味深い内容です。

さてその後の志水氏はガイド業に加え、写真家としても活躍中。黒部や剱岳の写真集も出版されているので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。私も志水ファンになってすでに25年以上。これからも活躍を見守りつつ、ずっと応援していきたい登山家です。

講演会『インドに生きるチベット人』

1月21日(日)、東京・江東区で開催

チベット人が暮らすインド北部のダラムサラの夜景(2009年、撮影=小林尚礼)

ヒマラヤやチベットの自然や文化について発信する集い、カワカブ会が、東チベット出身の両親のもとインドで生まれたケルサン・タウワさんをお招きして講演会を開催します。

チベット人の亡命が始まった1959年ごろから現在までのインドにおける亡命者の暮らしについて、ご自身の体験や、身近な人に聞いたお話、そして最近インドで出版された写真集『EXILE(亡命)』の貴重な写真などをもとにしてお話しいただきます。ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞する1989年までの30年間は、特に苦難の歴史だったといいます。

ケルサンさんはチベット文化を紹介する「カワチェン(雪ある処)」を主宰している方ですが、ご自分のことを話してくださるのは滅多にない機会です。どなたでも参加できますのでぜひお越しください。

***

カワカブ会の講演会『インドに生きるチベット人』

日時:1月21日(日)14:00~16:30(開場13:00)

会場:砂町文化センター(2階、第3・4会議室)

東京都江東区北砂5-1-7

講師:ケルサン・タウワさん(カワチェン代表)

※日本語で話します

会費:1000円(チベット人と学生500円)

主催:カワカブ会

※予約不要ですが、資料準備のため参加人数をお知らせください

ヤマケイ新書『登山者のための法律入門』

山の法的トラブルを回避する

ヤマケイ新書『登山者のための法律入門』著者=溝手康史/1月12日発売/900円+税/新書判/232ページ/ISBN 978-4-635-51048-6

加害者・被害者にならないために

登山者の数が増え、登山形態も多様化してきていることで、さまざまな感情や利害に翻弄され、山で紛争が起きています。もともと事故やトラブルがなければ法律は必要ありません。人間同士の紛争を解決するために「法律」があります。従来はあいまいに処理されていたことは、紛争をより深刻なものにしかねません。

本書の著者である溝手康史さんは現役の弁護士で、海外登山経験もある登山家として国立登山研修所専門調査委員や日本山岳サーチ・アンド・レスキュー研究機構理事などをつとめています。

溝手さんは本書を通じて登山をめぐるさまざまな法律の現状を明らかにし、紛争やトラブルを防止し、登山者が賢明に行動することをめざしています。

落石で他人にケガをさせたらどうなるか。山で焚き火をしてもよいのか。登山道以外の場所を自由に歩くことはできるのか。学校のクラブ活動としての登山で生じる注意義務とは。「登山の規制」「山岳事故の責任」「登山のリスクとどのように付き合うか」の3章構成でわかりやすく解説しています。

法律もすべてを想定しているわけではありません。白黒つけられず、グレーな部分は当然あります。そこで「法律で禁止されてないから●●してもいいじゃないか」などと考えるのではなく、あくまでも「登山の紛争やトラブルを避ける」ためにはどうすればいいか。法律で禁止されていないから●●という行動をとると、どんな紛争やトラブルが想定されるか。まず現在の仕組みを踏まえたうえで、ひとりひとりの登山者に考えてもらえれば幸いです。

八ヶ岳・硫黄岳

駐車は決められた駐車スペースへお願いします

山頂直下。舞い上がる雪けむりの中を進む登山者(写真=小山貴之)

厳しさの中に美しさあり。思わず見とれて足が止まった瞬間(写真=小山貴之)

1月6日、晴れのち曇り

雲一つない快晴の下、桜平駐車場(中)から出発(桜平駐車場(中)までは四輪駆動必須です)。

夏沢鉱泉までは林道、夏沢鉱泉から夏沢峠までは登山道を歩きます。夏沢鉱泉までの道中では帰りの送迎のため駐車場に向かう宿泊者とすれ違い、「昨日は最高だったよ!」との話に、はやる気持ちを抑えて歩を進めます。

途中、オーレン小屋では硫黄岳の姿をはっきりと捉えることができましたが、夏沢峠に到着するころには山頂はガスに覆われてしまいました。

高度を上げ森林限界に達すると強風帯に入ります。稜線上では地吹雪となり吹き付けてきました。雪は風で飛ばされ、岩稜帯歩きとなります。空を見上げると雲の流れは速く、時折青空が見えました。厳しい状況でしたが、稜線上では時折見せる青空と雪煙の美しいコントラストを目にすることができました。

山頂で諏訪側は晴れ間がのぞいていましたが、赤岳方面はガスで覆われてしまい展望はありません。当初、横岳までの予定でしたが天候の回復は期待できそうにないため、この日は硫黄岳までとして下山。厳冬期の南八ヶ岳を味わうことができました。

硫黄岳の稜線上は強風帯のため、防寒対策をお願いします。地吹雪もありますのでゴーグルが有効です。ルートは全体的に歩きやすいですが、森林限界より上は岩稜帯になりますのでアイゼンの引っかけに注意が必要です。

また、帰りの林道では待避所に駐車している車を見かけました。緊急車両の通行の妨げや、すれ違いの妨げになってしまうこともありますので、決められた駐車スペースへの駐車にご協力をお願いします。

(文=小山貴之/長野県自然保護レンジャー)

八ヶ岳・赤岳

今季一番の冷え込みのなか登りました

地蔵尾根上部から阿弥陀岳。山全体が新雪に覆われていました(写真=木元康晴)

赤岳山頂直下の痩せた岩稜を慎重に進む(写真=木元康晴)

1月11日~12日、両日とも曇り時々晴れ

10日から11日にかけて降雪があったという、赤岳を登りに行ってきました。

1日目は車を美濃戸口に停め、北沢登山道を歩いて赤岳鉱泉へ。今回は小屋泊ではなく、アイスキャンディーを望む平坦地にテントを張って泊まりました。

2日目は朝の寒さがとても厳しく感じられたので、早朝の出発は見送って7時過ぎにスタート。中山乗越を越えて行者小屋に向かい、そこからは地蔵尾根に取り付きました。樹林帯の積雪は多くてラッセル覚悟だったのですが、先行パーティがいてそのトレースに助けられ、比較的順調に進むことができました。

森林限界を抜け出ると雪は少な目で、岩にアイゼンを効かせながら登ります。赤岳天望荘を過ぎてたどり着いた頂上は、雲がかかって展望はなく、早々に下山。文三郎尾根から下りましたが、上部の岩場はホールドが雪に覆われてつかみにくく、より慎重な三点支持を心がけました。

赤岳鉱泉に戻ってテントを撤収していると、知り合いのスタッフがやってきて、朝の気温は氷点下21度で今シーズン一番の冷え込みだったと教えてくれました。

(文=木元康晴/登山ガイド)

長野県・美ヶ原

雪原ハイクを楽しむには格好の場所です

美しの塔~王ヶ頭にて。奧は浅間山(写真=中村重明)

王ヶ頭2034mにて。奧は八ヶ岳~富士山~南アルプス(写真=中村重明)

1月13日、快晴

先週末の戦場ヶ原・小田代ヶ原(栃木県)での雪原ハイクに続き、今週末は美ヶ原で雪原ハイクを楽しんできました。ただし「雪原ハイク」といっても、わかんやスノーシューの出番はわずかでした。

霧ヶ峰から美ヶ原に至る「ビーナスライン」は冬季閉鎖中ながら、佐久市から長和町経由で山本小屋ふるさと館に至るルートは通年通行可能で、山本小屋ふるさと館前の駐車場に車を停め、散策を開始しました。

山本小屋ふるさと館駐車場~王ヶ頭ホテルの車道は、王ヶ頭ホテルの宿泊客送迎用の雪上車で圧雪されていてツボ足で問題なく歩けますし、美しの塔~王ヶ頭の牧場内ショートカットコースもほとんどはツボ足でOKでした。とはいえ吹き溜まりやルートを外したところではヒザくらいまで潜るため、わかんないしスノーシューは携行したほうがいいと思います。

行程上からは、北アルプスは雲に隠れて見られなかったものの、根子岳・四阿山~浅間山~八ヶ岳~富士山~南アルプス~中央アルプスの素晴らしいパノラマ展望が得られました。またなによりここは(湿原の場合は冬季も基本的には無雪期の木道等のルート以外は立ち入り禁止です)、牧場内を自由気ままなルートで歩けるのが最大の魅力です。

強い冬型の気圧配置で日本海側や北アルプスが降雪の場合でも美ヶ原・霧ヶ峰・八ヶ岳のエリアは晴天が多いこともあり、雪原ハイクを楽しむには格好の場所かと思われます。

(文=中村重明)

長野県・入笠山

スノーシューハイクを楽しみました

独占! 入笠山山頂(写真=原 誠一)

大阿原湿原はラッセルし放題(写真=原 誠一)

1月11日~12日、晴れ

待望の雪が降った翌日、富士見パノラマスキー場経由で入笠山を目指しました。スキー場の山頂駅からスノーシューが大活躍。山頂では、風はありましたが360度の大パノラマを楽しむことができました。お宿はマナスル山荘本館。ホスピタリティあふれるおもてなしが魅力です。

翌日は、大阿原湿原のファーストトラックを堪能しました。

これからの季節、スノーシューを楽しむには、入笠山はおすすめスポットです。

(文=原 誠一/アルプスネイチャークラブ・登山ガイド)

浅間周辺・黒斑山

夕映えの浅間山を撮影する山行

夕日に染まる浅間山。槍ヶ鞘から撮影(写真=佐藤孝也)

夕暮れ迫る、浅間山と剣ヶ峰(右)。槍ヶ鞘から撮影(写真=佐藤孝也)

1月14日、晴れ

この山行は、浅間山を夕日が紅く染める光景を撮影しようと計画しました。この時期の日没が16時50分ごろということで、撮影地である黒斑山までの歩行時間は2時間と計算に入れ、登山口である車坂峠を13時30分に出発しました。

日曜日の午後ということでしっかりとトレースがつき、避難小屋のある槍ヶ鞘まではツボ足で歩けました。トーミの頭への登りからは念のため6本爪アイゼンを装着、黒斑山山頂に15時30分ごろ到着しました。

撮影活動は槍ヶ鞘付近まで戻って三脚を構えます。ここから夕陽は見えませんが、浅間山の山肌の色が刻々と変化して行くのがわかります。どんな色も見逃さないよう、シャッターを切り続けました。日没後もマジックアワーのシーンをしばらく撮影して機材を撤収。樹林帯はすでに夜の闇につつまれ、ヘッドランプを照らして慎重に車坂峠へ下山しました。

(文=佐藤孝也/日本山岳写真協会会員)

奥武蔵・物見山

地図読み練習にも向く里山の尾根道をたどり、ご当地富士へ

地図読み練習にも向く里山の尾根道をたどり、ご当地富士へ(写真=佐々木 亨)

左上:埼玉県日高市のご当地富士、浅間神社を祀る富士山頂上/右上:スマホGPSアプリでカスタムマップを読み込み、物見山の三角点で精度を検証。ほとんど誤差は生じなかった/左下:物見山近くの駒高公衆トイレの改築がこのほど完了。ぜひマナーを守って使いたい/右下:白銀平から関東平野とともに日光連山や赤城山を眺望(写真=佐々木 亨)

1月14日、晴れ

すっきりと澄んだ冬の青空のもと、奥武蔵の物見山から富士山へと、里山の尾根道を歩いてきました。

物見山は、奥武蔵の入口に位置する日和田山とともによく登られる標高375.3mの里山。測量の基準となる一等三角点を置く山として知る人も多いかと思います。

今回の目的は、講師を務めている地図読み講習会で取り入れ始めたスマホのGPS・地図アプリと、アプリに対応したカスタムマップ(自作地図)の精度を検証すること。そこで物見山をはじめ、近くの三角点を結ぶようにして歩いてみました。

そのひとつが、物見山の北東、標高220.2mの四等三角点を置く富士山です。頂上に浅間神社を祀る埼玉県日高市のご当地富士で、明治のころまで富士講の行者らが、国土安穏、五穀豊穰の祈とうを行ったと伝えられています。

物見山から富士山へは、小さなアップダウンと屈曲のある尾根道をたどります。地形図には破線(幅員1.5m未満の徒歩道)が書かれていますが、道標がないため、一般的なハイキングより、ごく初歩的なバリエーションコース踏破や地図読みの練習に向くコースです。もちろん紙の地図とアナログコンパスも持ってトレースしました。

富士山からは、さらに関東平野を一望する白銀平や物見山東麓にかかる滝沢の滝をめぐり、起点とした日和田山登山口に戻って、帰途に着きました。

今回の目的であったGPSアプリとカスタムマップについては、ほとんど誤差がなく、精度の高さには驚かされましたが、紙地図を持つ「安心」も改めて実感した里山歩きでした。

(文=佐々木 亨/山岳ライター)

東京都・要倉山~本宮山

麺グルメの山行プラン

本宮山手前の伐採地から南側に奥高尾縦走路を望める。右の堂所山から奥高尾縦走路の手前、一段下に延びる尾根は北高尾山稜(写真=石丸哲也)

左上から時計回りに本宮山山頂、展望地から都心方面の眺め、山下屋の陣馬そば、ふれあいの里のボンネットバス、点火前のどんど焼き、うこっけいラーメン(写真=石丸哲也)

1月7日、快晴

(今回のレポートの前半は山に直接の関係がない前置きなので、興味のない方は読み飛ばしてください)

このところ、特に徘徊することが多い高尾山~陣馬山の奥高尾ですが、北麓の夕焼け小焼けふれあいの里(以下、ふれあいの里)のすぐ近くに“うこっけいラーメン はなどり”という店を見つけました。まだ開店して1年半ほどで、奥まったところにあるので、ラーメンマニアにもあまり知られていないようです。最初、北高尾山稜から下って、帰りに寄ろうと考えたのですが、営業は16時まで、スープがなくなり次第終了とのことで、行きに寄ることに。11時の開店まで、ふだん、ゆっくりできないふれあいの里の展示を見て、食事の後、前から気になっていた、半日で登れる要倉山~本宮山を登ることにしました。さらに、陣馬高原下に下山して、山下屋の陣馬そばで打ち上げという麺グルメのプランを考えました。

要倉山~本宮山は生藤山から陣馬山へ至る尾根の和田峠近く、高岩山から東へ派生する中谷山尾根上のピークです。登山道は整備されておらず、指導標もない、いわゆるバリエーションハイキング(バリハイ)コースです。この周辺を足繁く歩いている友人たちに声をかけたところ、バリハイの達人で「高尾山・景信山・陣馬山登山詳細図」(吉備人出版)の作成にも参加されたKさん、周辺の民俗にも詳しいYさんら4人の同行を得ました。私は初めてですが、Kさん、Yさんたちは複数回、歩いているとのことでした。

ふれあいの里の夕焼小焼館には、当地出身の詩人・中村雨紅と写真家・前田真三の展示コーナーがあります。中村雨紅は施設名にもなっている童謡「夕焼小焼」などの作詞者、前田真三は北海道美瑛の四季の丘などの風景写真で知られ、山と溪谷社からも「カレンダー2018 大地からの贈りもの」などが刊行されています。2人の作品世界にゆっくり浸ることができました。当日は小正月で、ふれあいの里の広場でどんど焼きも行われていました。正月飾りを焚き上げ、木の枝などに刺した繭玉状の餅を焼いて食べて、無病息災を願う伝統的な行事です。

そんなこんなで時間はあっという間に過ぎ、開店とともに“はなどり”へ。ラーメンのスープは烏骨鶏のほか、シジミ、帆立貝をプラスしたものの計3種類。麺は細麺、中太麺、ライ麦中太麺の3種で、それぞれ組み合わせられます。全員、違う組み合わせでオーダーし、私はシジミ、細麺にしました。優しく、奥深い味わいで、細麺によく合い、烏骨鶏のゆで卵も添えられて、大満足でした。

昼近くに店を出て、関場バス停まで歩き、やっと登山開始です。落合橋を渡ってすぐ、中谷山尾根の末端に取り付くところがわかりづらいですが、達人2人のおかげでスムーズに踏み跡へ入れました。急登をこなし、送電線鉄塔を過ぎると都心方面の展望が開けます。尾根を忠実に登っていきます。急登をこなし、送電線鉄塔を過ぎると、首都圏方面の展望が開けました。全体に杉・ヒノキの植林と雑木林が茂り、各ピークは展望がありませんが、この付近、本宮山の手前などで好展望が得られるのはうれしいところです。要倉山は地形図にも山名が記載されています。要倉山と高岩山の中ほどにある732mのピークが本宮山、要倉山と本宮山の中間地点から北へ張り出した本宮山(御堂窪山)にも寄り、本宮山を越えて、最期のメシモリ岩山を過ぎると、すぐ醍醐林道に出ます。山名に反して岩が見当たりませんが、Yさんによると林道工事で失われたらしいとのこと。また、本宮山は南麓の熊野神社と関係があるのではと考えていましたが、これもKさんが「もともと熊野神社は本宮山山頂にあり、慶長年間の火事で現在の位置に移された。山頂の南側に石碑がある」と教えてくれました。

醍醐林道に出た後は、和田峠を経て陣馬高原下までの車道歩き。16時30分過ぎ、山下屋に入り、きのこの3種煮と鹿ヒレ肉のグリルを肴に生ビールで下山祝い。季節限定のゆずそばをいただいて、バスに乗りました。山下屋の三代目主人は店を継ぐまで音楽関係の仕事をしていたそうで、ギターの弾き語りはプロとして通用するもの。昨年暮れ、南青山のライブハウスMandalaで行われたライブにお邪魔し「正月にうかがいます」とお話しして、その約束も果たせました。

中谷山尾根は、全体に踏み跡があり、特に危険なところはありませんが、尾根が屈曲し、踏み跡が途切れて迷いやすいところがあるので、安易に入らないように。また3箇所ほどある急登は下るとスリップしやすく、ルートもわかりづらくなるので逆コースは避けるほうが無難です。ふれあいの里にはボンネットバスなどの展示もあるほか、食事処や温浴施設もあるので、山の帰りに寄るのもおすすめです。

(文=石丸哲也/山岳ライター)

神奈川県・京塚山~金剛山

陽だまりハイキングを楽しみました

藤野神社上のパノラマコースから、藤野の象徴「緑のラブレター」が見える園芸ランドの丘陵と右に金剛山の稜線、背後に丹沢山塊を望む(写真=白井源三)

左:京塚山山頂。丹沢主脈・焼山から姫次。大室山から道志山塊を展望/右:金剛山山頂には小さな古峰神社が建ち、丹沢山塊と道志山塊が広がる(写真=白井源三)

1月12日、晴れ

JR中央線藤野駅の南面、相模湖と秋山川にはさまれた標高400m余りの台地に藤野園芸ランドがあります。ここは名倉地区の農家で運営している観光農園です。クヌギ、コナラの広葉樹林に囲まれ、全国森林浴100選にも指定されていて、農園を囲む遊歩道(舗装路)には藤野在住の芸術家による野外彫刻のオブジェが点在しています。

この周辺に藤野名山15も含まれ、今回は園芸ランド内の京塚山から葛原(とずらはら)神社を経由して金剛山に登ってきました。

国道20号、藤野駅前を進み左下の弁天橋を渡り、名倉グランドの駐車場に車を停めました。駅横の藤野観光案内所で「藤野・なぐら地区てくてくまっぷ」を入手すると便利です。

ここの駐車場を少し戻り、右手の階段を登り、標識A29の台地に出ると正面に生藤山から陣馬山が中央自動車道の上に広がっていました。右下に名倉グランドを見下ろして登っていきます。

A20の分岐からさらに登っていくと、丹沢主脈の焼山、姫次、大室山から道志山塊が広がる京塚山(石山)の山頂へ着きます。展望を楽しんだ後、鎖の付いた道を下っていくとA15の分岐に出ます。名倉峠への標識を左下へ下ると南面の明るい登山道が続きます。腐った道標が立っていますが、登らず巻いて進みます。鉄柵が付いたしっかりした道からA10で一本松へ登れますが、展望がきかないので直進してA06の芸術の道(舗装路)に出ました。

道路を左に進んでいくと、左にシュタイナー学園、右に庖丁岩を見下ろして前方に上野原方面が広がっています。向原バス停前から前方の高倉山を望むとオブジェの目玉がぎょろりとにらんでいました。枝垂れ桜で有名な正念寺の左横に葛原神社があり、境内から進むと、屋根付きの休憩場があり、前方に目的の金剛山が広がります。

農道を進みB01の道標を左に登っていきます。よく整備された急な登山路を詰めると、鉄柵が付けられた稜線に出ます。金剛山山頂には屋根が付いた小さな古峰神社とベンチが置かれ、南面に丹沢山塊から道志山塊が広がっていました。少し進んで、休憩所があり、ここから長い急な下りが始まります。

明るい雑木林が続き、町道に降りると、天神峠です。左下に少し下り右に登ると高倉山がありますが、そのまま下っていくと、火の見やぐらが立つ分岐に出ます。右下のオブジェが点在する芸術の道(直進すると葛原神社へ戻る)をしばらく下り、てくてくまっぷの看板がある分岐の道路を左上に上がっていくと名倉グランドへ戻れます。

帰路は戻って秋山橋を渡り、日連橋から京塚山の高みと弁天橋を展望して国道20号へ出て終了です。晩秋からの陽だまりハイクがおすすめですが、広葉樹林帯が多いので新緑と紅葉の季節もおすすめです。

マイカーハイクには名倉グランド駐車場か葛原神社の駐車場(無料)を。バス利用は藤野駅から芸術の道を巡回する富士急山梨バス(TEL0554-63-1260・9:00~17:00)があります。

(文=白井源三/『神奈川県の山』共著者)

信越国境・鍋倉山

温もり感じるブナ林から白く輝く稜線へ

樹氷をまとったブナ林。右奥は越後の霊峰「米山」。後ろは冬の日本海(写真=余野 等)

鍋倉山山頂にて。この直後、強風でスキーが倒れた(写真=余野 等)

1月8日、曇り

新春初山行は山スキーで、通い慣れた鍋倉山へ。豪雪地域で知られる長野県飯山市の温井集落を出発し、前日のしっかりしたトレースに助けられ、黒倉山と鍋倉山の鞍部へ通じる沢を詰めると、美しいブナが迎えてくれます。若い樹から高齢の樹まで、その個性的な木々の姿からは人間が連想されました。

木のない白い斜面が近づくと、稜線はすぐそこ。強風の中、一息で鍋倉山へ。山頂はわたし一人で、すばらしい展望を独り占めです。魚沼や頸城の山々を拝みつつ、強風に耐えながら滑降の準備を急ぎました。

藪は埋まり切っていないものの、滑るのには充分すぎるほどの積雪です。この日はスノーモービルの姿が見えなかったのですが、広大な雪原に刻まれたそのトレースを目の当たりにして、とても複雑な気持ちになりました。

(文=余野 等)

鈴鹿・御在所岳本谷、藤内沢

アイスクライミングでも人気の山へ

藤内沢コウモリ滝付近(写真=金丸勝実)

左上:本谷上部/右上:三ルンゼからの展望、鈴鹿北部の山 左下:山頂からの遠望、南アルプス、富士山 右下:藤内沢3ルンゼへ分岐点(写真=金丸勝実)

1月13日~14日、晴れ時々曇り

御在所岳は、鈴鹿山系では最も人気が高く、四季を通じて多くの登山者が訪れます。山上にはスキー場やレストランがあり、ロープウェイを利用すれば容易に山頂に立つことができるなど、観光地化されてはいるものの、それでも登山人気が衰えないのは、山としても魅力が凝集されているからだと思います。

一般登山道としては、尾根ルートには岩稜が多く、谷ルートは急峻なところもあり、登山の醍醐味が感じられます。さらに、クライミングのゲレンデとしても知名度が高く、藤内壁や藤内沢の周辺の尾根や岩壁に多くのルートが引かれています。冬季は滝やルンゼが氷結し、氷雪技術の練習場にもなります。

この週末は寒気が入り、太平洋側の天候がよかったので、藤内小屋ベースで初日は本谷、二日目は藤内沢を登ることにします。

冬季はアプローチの国道477号線が閉鎖になるため、ゲートからは徒歩となりますが、湯の山温泉街から入ると満天星駐車場までは入ることができます。降雪や凍結があるので冬タイヤなどが必要になることがあります。

この週末のコンディションは、年末年始の積雪がしまっていて、山頂付近の気温はマイナス10℃前後となり、氷結した谷は比較的登りやすい状態になっていました。本谷は一般登山道としても利用されていますが、バリエーションの要素があり、上部の大黒滝周辺では事故が絶えません。

高巻きには鎖が設置されていますが、この時期は氷と岩のミックスになっているので注意が必要です。全般的には、目印に従い何度か徒渉しながら小滝を巻いて登ります。大黒滝を越えると展望が開け、高度感が感じられるようになります。氷結した岩壁を見ながら、雪で詰まった傾斜の強いルンゼを登り切ると山上公園ですが、展望のよい大黒岩に立ち寄るのもいいでしょう。

下山は歩きやすい裏道で藤内小屋に降り宿泊しました。宿泊は基本的に土曜・祝前日のみですが、3名以上で予約の場合は、平日泊の相談にも応じていただけます。詳しくは、藤内小屋のブログをご覧ください。

二日目は藤内沢を登ることにしました。夜半の降雪により小屋周辺で10cm、上部で30cmほどの積雪がありました。朝の気温は小屋周辺でマイナス7℃、氷結が緩む心配はありませんでしたが、3ルンゼに入ってからのラッセルが少しありました。

藤内沢は冬の人気バリエーションルートで、両岸に氷結した岩壁を見ながらの雪壁の登りですが、中間部のコウモリ滝の巻は氷結した岩壁のちょっとした登攀があります。このルートでもっとも気をつけなければならないのは取付の藤内滝の巻きで、昨年は滑落事故が発生しています。ロープを出してリスク軽減につとめてください。

3ルンゼに入ると展望が開け、高度感が増してきます。振り返ると前尾根のヤグラが見えています。この日は雪上歩行訓練で山上から降りてきた山岳会が加わり、3ルンゼはにぎわいました。ロープウェイを利用すると、効率のよい訓練ができそうです。ルンゼ左岸の鋸岩周辺はアイスクライミングのゲレンデで、この日も何パーティか入っていました。我々のパーティも少しアイスクライミングを楽しみ山上公園に抜け、レストランで休憩後、中登山道で下山しました。藤内沢の緊張感と暖かいレストランでの昼食、この大きなギャップを感じられるのが御在所岳で、それぞれの目的に応じて楽しめる山です。

この日は見通しがよく、御嶽山、中央アルプス、南アルプス、富士山が遠望できました。

(文=金丸勝実/『三重県の山』著者)

奈良三重県境・三峰山

霧氷と展望を求めて

三峰山山頂(写真=都築香純)

八丁平にて(写真=都築香純)

1月14日、晴れ

霧氷を見たいという友人を誘って、三峰山を目指しました。

冷え込みが続いたこの週末、霧氷の発達を期待して近鉄榛原駅からこの時期の週末にのみ運行されている奈良交通の「霧氷号」バスに乗りこみます。バス車内で登山届を記入していると、帰りのバスの案内がありました。榛原からのバス便は2便が設定されていますが、各時間帯とも複数台が用意されているので、満員のため乗りこぼれるということはないようです。

今回のコースは「みつえ青少年旅行村」から、樹林帯につけられた登尾ルート登山道を往復しました。登山道入口の木橋を渡る前にチェーンスパイクを装着します。登山道付近は積雪10cm程度、頂上付近は50~70cm程度ですがよく踏まれており、ラッセルなどの苦労はありません。この日は非常にコンディションがよく、発達した霧氷が青空にキラキラと輝き、友人とともに喜びました。

頂上の台地からは室生火山帯の山群がよく見えました。また御嶽山ビューポイントからは、比良のあたりの山を、更に高見山ビューポイントからは真っ白になった美しい三角形の高見山が望めました。

前回来た時には強風で早々に退散した八丁平では風もなく、たくさんの人々が霧氷を眺めながら休憩したり、持参した簡易ソリで雪遊びをしている様子が見られました。八丁平を周回して、来た道を戻り、14時ころに「みつえ青少年旅行村」に帰着しました。

なお、このコース上のお手洗いは、「みつえ青少年旅行村」、登尾ルートの中間部にある林道との合流点の「山小屋風トイレ」の2箇所です。

転落・滑落などの危険箇所はありませんが、踏み固められて硬くなっている箇所があるので滑り止めは必携です。

「みつえ青少年旅行村」ではこの期間の週末に御杖村観光協会による「三峰山霧氷まつり」が開催されており、日によってはゆるキャラ「つえみちゃん」が登場したり、甘酒や豚汁などのふるまい、特産品の物販がありますので、スケジュールをご確認ください。

(文=都築香純)

岡山県・泉山

ノントレースの主稜線をスノーシューで楽しみました

中央峰をあとに泉山本峰に向かいます(写真=舩越 仁)

泉山山頂でいつものポーズです(写真=舩越 仁)

1月13日、曇り時々晴れ間のぞく

この泉山山塊は岡山県鏡野町の中心部にあり、鳥取県境からは少し離れています。なので、この朝の気温はマイナス5℃とよく冷えていますが、この度の北陸東北の大雪ほどの積雪による影響はありません。それでも国道179号線を離れると、除雪はしてありますが登山口までの道路は凍てついていました。

泉山は南から井水山、中央峰、泉山本峰の高度約1200mの稜線が連なっています。今日はそのうちの中央峰を目指す大神宮原コースです。歩き始めの積雪は約20cm、ツボ足で数日前のトレースをたどりましたが、中央峰直下の急登でスノーシューを履きました。明るい霧氷のトンネルを抜けると中央峰到着です。ときおり青空ものぞき、予想以上に視界が広がっていました。

ここから本峰に向けての稜線縦走が始まりますが、うれしいことにノントレースです。積雪は50cmくらいです。急下降では尻セードしながら、一等三角点の泉山を経て笠菅峠登山口に下る周回コースで、今年初の雪山を堪能しました。

(文=舩越 仁/みつがしわ山の会)

福岡県・三郡山

大ツララ観賞と雪の稜線歩き

ツララをバックにポーズをとる(写真=池田浩伸)

ふかふかの雪の稜線をたどる(写真=池田浩伸)

1月14日

寒気が続くと訪れてみたくなるのが、河原谷(ごうらたに)の大ツララ。一本松公園(昭和の森)の広い駐車場も、朝8時にはスペースがなくなるにぎわいです。

20分も歩けばあたりは雪景色に包まれ、登山道脇でアイゼンを付けました。大ツララへ向かう分岐点の手前右側には、小ツララと呼ばれる場所もあり、ここでも歓声があがっていましたが、大ツララへは、もうひと登りで到着です。

大ツララを見上げて感動の声を上げる人や、ツララをバックにカメラに向かってポーズを取る人たちの笑い声が響いていました。

難所ヶ滝の谷を詰めて稜線に出て、雪深く積もった稜線を三郡山(さんぐんさん)へ向かいました。稜線からは多くの登山者が宝満山へ向かうので、我々は静かな山を楽しむことができました。

三郡山から、北の稜線はさらに踏み跡が少なくたっぷりの雪を楽しみながら、欅谷(つきたに)コースを下山しました。

今週は徐々に暖かくなる予報ですが、次の寒波が来ると、またみごとなツララが現れることでしょう。

(文=池田浩伸/登山ガイド)

福岡県・英彦山

凍結した滝にみごとなツララ

雪景色の英彦山神宮の正面参道を行く(写真=松本高志)

みごとに凍結した四王寺の滝(写真=松本高志)

1月14日、曇り

北部九州にも今季一番の寒波が到来したので、四王寺の滝の凍結を見に行きました。

別所駐車場は予想通り満車でしたので、少し下った銅の鳥居横の駐車場に車をとめました。銅の鳥居横の駐車場はまだ余裕がありました。

英彦山神宮へ続く石段の参道を少し長く登ることになりますが、坊跡を見ながら雪の積もった参道の歩きもまたいいものです。奉幣殿でお参りして滝へ向かいます。

衣ヶ池手前の分岐を左に取り、滝のある谷に入っていきますが、ほとんどの登山者が滝へ向かっていました。抜きつ抜かれつしながら谷を詰めていき、にぎやかな声が聞こえてくると目の前に凍結した四王寺の滝が突然姿を現します。

岩壁が大きなツララにびっしりと覆われ、自然が作り出した迫力あるみごとな氷のオブジェに思わず声が出ます。滝の下では多くの登山者が記念撮影をしていました。

寒波到来時にのみ見られる自然の造形美に感謝した一日でした。

(文=松本高志)

ネパール・タパピーク東・5252mピーク

厳しい寒さと吹き続けた風の中の記録(前編)

ヤクカルカへの登り(写真=山田哲哉)

ラトパニにて(写真=山田哲哉)

12月28日~1月1日

山岳ガイド「風の谷」と新しく設立された(株)KAZEエクスペディションによる登頂登山は「ネパールヒマラヤで登山をしたい」との思いで開始されました。

2017年4月~5月にかけてアンナプルナ山塊のタルプチュリ峰(5695m)に11名全員登頂した模様は「十日間でヒマラヤ登山」として『山と溪谷』9月号で紹介されました。そして次は6000m峰を目標として、ダウラギリ山塊のタパピーク(6012m・最高点は6035m)をめざしました。

長期にわたる登山では、社会人の制約として「お金よりも休み」が問題になります。タルプチュリの時はGWの10日間でしたが、今回は年末年始で12日間を予定。ただし集合は28日の夜22:30です。ほぼ全員が仕事帰りに集合し、解散は8日の朝6:55の羽田。実質10日間というタイトな日程です。

2017年のタルプチュリの時は春で暖かく、登山は楽でしたが、正月のヒマラヤは完全な乾季です。天空を感じさせる黒に近い青空が広がりますが、厳しい寒さと強い風が難関になります。コップの中の紅茶がすぐに凍る厳しい寒さです。

羽田からバンコク経由でカトマンズに昼近く到着。国内線に乗り継ぎ、暖かいポカラへ。ヒマラヤの山々と美しい山村風景が広がるポカラは美しい町です。お祭りがあり、ペワ湖湖畔近くの店で乾杯しました。

30日早朝、まだ暗いなか一番機でジョムソンに向かいます。ジョムソンの町はムスタン王国やヒンドゥ教の聖地ムクチナートへと続くカリガンダキ川が流れる「風の谷」です。この日も風が強く、小さい滑走路に揺れながら小さなプロペラ機が着陸。クルマでマルファの村に移動しロッジに泊まります。マルファの標高は2600m前後。真っ白い壁と端正な石畳が美しい尖峰のニルギリが迫る美しい村でした。この日は3000mまで全員登り、高度に身体を馴染ませます。

翌31日、いよいよ登山開始。村の中央から「ダウラギリ周回」の指導標を目印に登り始めます。少しずつ松林が出てきて奥秩父の山のようですが、真っ白なヒマラヤの山々が広がっています。一気に4200m近くまで登る厳しい登高です。富士山の高さを越えるころからペースは落ちていきました。木がなくなり、荒涼とした斜面が広がりますがヤクの放牧が行なわれ、4000m近くまでジャガイモ畑があり、カルカ(石造りの温暖な時期の仮住まい)がありました。この日はカリガンダキ川を挟んでニルギリ峰が大きく広がるヤクカルカにテント村をつくりました。ここでも高度に順応するため、強い風の中、4500m付近まで登高します。

登るほどにダウラギリ山塊のみごとな景色が広がります。順応行動で高さに馴染んだ者、まだまだ苦しい者・・・・・・。夜はキッチン担当からケーキが届きました。そして満月に近い月があたりを照らすなか、新年がやって来ました。

元日はさらにラトパニに向けて登っていく予定です。登頂ではなく写真撮影を目的とした一名はヤクカルカの滞在が高度的に厳しく、マルファに下りました。この日も強い風が吹くなか、ザレとガレの斜面を延々と登り続けます。4900m近くまで登ったころら雪も降り出し、吹雪の様相です。今回は荷上げに馬も使いましたが、馬は雪道を登れません。見る見るうちに積もる雪に困りました。

登り切った箇所から下降気味にトラバース。アウター上下に目出帽の完全防備をしないと凍りそうな厳しい風雪の中、4850mのラトパニに到着しました。雪は降り続け、ポーター(冬山装備は持っていない)や馬の動きが、今後の予定を大きく制約することになります(後編に続く)。

(文=山田哲哉/山岳ガイド「風の谷」主宰 (株)KAZEエクスペディション顧問 山岳ガイドⅡ)

ネパール・タパピーク東・5252mピーク

厳しい寒さと吹き続けた風の中の記録(後編)

5000mを越えるとツクチェピークの後ろにダウラギリが見えた(写真=山田哲哉)

5252mピーク「サミール峰」にて(写真=山田哲哉)

1月2日~8日

(前編より)1月2日。この日は最終キャンプに上がる日でしたが、降雪で周囲の様相は一変しました。この降雪では最終キャンプの設営は無理なので、この日が登高可能な最後の日となってしまいました。そこでタパピークから東に伸びる尾根の上にあるピークの中のひとつをめざすことにしました。

このラトパニは雪が止み、風が穏やかになると素晴らしい場所です。ニルギリだけでなくツクチェピークが大きく北壁を見せて立ちはだかり、その右に次の目標のひとつ、タシカン峰のⅠ峰からⅢ峰が並びます。ムスタンから中国へと続く乾いた光景もみごとです。

5000mまでの登りは厳しく、強風で雪の飛ばされたガレと砂礫と凍った雪の中をジリジリと登ります。稜線が近づき、まろやかな小さなピークを今回の最高到達点としました。

風も止み、登高開始後、もっとも安定した天候でした。ツクチェの左肩にダウラギリ山頂が顔を出します。カリガンダキ川は風の通り道で、いつも強い風が吹き続けています。ネパール語で風はサミールといいますが、この5252mピークをサミール峰と呼びたいと思います。

翌3日は3800mのアルバリへ下山の予定でしたが、メンバーの中に高度順化できず体調がすぐれない者もいたので、一気にマルファまで下山することを決めました。夢のようなヒマラヤの光景の広がるなかでテントを撤収して下山開始です。富士山の高度を下回るころにみんなの足どりも元気になりました。最後は駆けるように空気の濃いマルファの村へ。マルファからジョムソン、そしてポカラからカトマンズへと暖かく、空気の濃い世界へと向かう気分は独特のものがありました。

ネパールは、やはり素晴らしい世界の屋根です。次の目標は、もう一度態勢を建て直してタパピークをめざすか、次の山をめざすか・・・・・・。

僕たちの登山を支えてくれたポーターやキッチンスタッフに心からナマステと言いたい気持ちです。

(文=山田哲哉/山岳ガイド「風の谷」主宰 (株)KAZEエクスペディション顧問 山岳ガイドⅡ)

アメリカ・カヤホガバレー国立公園

オハイオ州クリーブランドでスノートレッキング

半分凍ったブランディワイン滝(写真=葉山美和)

小川も凍りついています(写真=葉山美和)

1月14日、晴れ時々曇り

まず落差20mのブランディワイン滝に行きました。この季節、クリーブランドはマイナス10℃前後になり、しぶきが凍りついて滝壺の周りは氷の彫刻のようです。ネイチャーセンターからはたくさんの野鳥やリスが餌を求めてやって来るのを見ることができます。

その後、トレイルコースを散策しました。雪はさらさらのパウダースノーです。スノーブーツで快適に歩けました。キツツキのドラミングが聞こえ、ウザギかリスのかわいい足跡が雪原を縦横無尽に走り回っています。

数十分も歩くとつま先が冷えてじんじん痛み出しました。薄氷がはった小川を越えて階段を登り、いくつもの分岐を経て、駐車場に戻りました。

(葉山美和/千葉県/よく行く山:中央線沿線の山、奥高尾)

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週刊ヤマケイでは、読者の皆さんから表紙写真、登山レポート、山の川柳を募集しています。また新たに「よもやまばなし」も募集します。ぜひあなたの作品をお送りください。

【表紙写真について】

●タテ位置で撮影した写真に限ります。

●横幅1200ピクセル以上のjpeg画像。

●写真に簡単な説明も添えてください。


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●本文200字~300字。1ヶ月以内の山行に限ります。できれば2週間以内の情報をお寄せください。国内・海外は問いません。山名・日程・天気を明記。登山道の様子や開花状況などもできるだけ盛り込んでください。

●写真キャプション(写真の解説を簡単なもので結構ですので付けてください)

●お名前(ふりがなもお願いします。匿名、ペンネームでの掲載は不可です)

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●登山歴

●よく行く山名、山域

※文字数を大幅に超えたものは対象外となります。掲載の目安は、投稿から約2週間です。掲載、不掲載についての事前連絡はしておりませんので、あらかじめご了承ください。


【山の川柳】

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