『猪・鹿・狸』(早川孝太郎 角川ソフィア文庫)
作家の間でも話題になった本
著者の早川孝太郎は、柳田国男の弟子にあたる民俗学者である。この本は著者が幼い頃に見聞きしたことや、村の古老や猟師に取材して聞いた、猪・鹿・狸、それぞれにまつわる話をまとめたものだ。
刊行されたのは大正15年。芥川龍之介がブックレビューに「僕は実際近頃にこのくらい愉快に読んだ本はなかった」と評し、島崎藤村もこのような里の暮らしをまとめたいと思っていたと言うなど、作家の間でも話題となった。民俗学的資料としてだけでなく、文学的評価も高く、現在も多くの人に読み継がれている。
「猪」は、田畑を荒らすイノシシと人との攻防についての話題から始まる。「猪に荒らされた後の稲は、誠に情容赦もない事であった。わけて子持猪にでも出られたが最後、それは目も当てられぬ狼藉であった」というが、収穫間近の米を食べられ、さらに踏みつけられて泥に埋もれた稲を見れば、田んぼの持ち主はどれほど悔しく、悲しいことかと思う。作物を守るために、人は、落とし穴を掘ったり、寝ずの番をしたり、石垣を築くなどの苦労をしてきたのである。
三重県の南部を旅したとき、数メートルの高さに及び、城壁かと思うほどりっぱな石垣を見た。聞くと猪垣(ししがき)といい、イノシシの食害除けとして、江戸時代から昭和はじめにかけて造られたものなのだそう。周辺地域には、ほかにも「ミニ万里の長城」とも言えるほど長い石塀や、迷路のように造られた石積みもあった。言うまでもなく、そのような猪垣を造る苦労は途方もない。生きるために食べるイノシシと、これまた生きるために田畑を守る人とのすさまじい攻防の跡だと思う。つい最近まで、人はそのようにして暮らしてきたのだ。
三重県で見たどこまでも続く猪垣
「鹿」のところでは、シカの数が少なくなり、すっかり姿を見なくなって久しいことが話のひとつに挙げられている。明治から昭和始めにかけての乱獲でシカは激減したが、ここに書かれていることから、大正末期、話の舞台である三河(愛知県)でも、かなり数を減らしていることがわかる。
著者はシカが減ったことを嘆いているが、後の保護政策などにより、現在はニホンジカが増えすぎて、山の植生などに影響が出ている。今、増えすぎたシカに頭を悩ませていることが、なんとも皮肉である。
「狸」はいろいろなものに化けて人を騙したり、驚かせたりする話が多い。子どものころによく読んだ昔話は、少し不気味で怖く、でもたまらず好奇心をくすぐられ、読むのをやめられなかったことを思い出した。
そういえばそのころ、父に連れられて甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根を登ったのだが、家から山へ向かう途中で、不幸にも車との事故に遭い、道に横たわるタヌキを目にした。そのようなタヌキを見ることはめずらしくはなかったが、大きな山に登る前だったこともあって、不吉なことがあるのではないかと、不安な気持ちを大きくした。そして自分がしたことではないものの、子ども心に申しわけなくも思った記憶がある。
登山口に着いて竹宇駒ヶ岳神社に向かうと、そこにひとりのお婆さんがじっと立ってこちらを見ていた。早朝からお婆さんがいることに驚き、あのタヌキが化けているのではないかと思い、たまらなく怖くなった。
それからは、古い石塔の影から何かが見ているような気がしたり、いつまでも景色の変わらぬ道を歩き続け、一向に山頂に着かないのはタヌキの仕業ではないかと不安になったりした。この本でも紹介されているような昔話が記憶に刷り込まれていたからだろう。
なかなか山頂に着かなかったのは、タヌキのせいではなく自分がバテていただけだったけれど、タヌキといえばいつも甲斐駒ヶ岳を思い出す。
さて、この本のおもしろさは、取材力はもちろんだが、書かれている話が実話であったり、実際に語り継がれた物語であることが大きいと思う。「実はこれも獣たちの最後を飾る物語の一つであろうかもしれぬ」という著者の言葉が重い。