『森羅万象の中へ』(山尾三省)
連載第12回(著者=小林千穂/山岳ライター・編集者)
思考の原点に帰れる本
書棚でも手に取りやすいところに『森羅万象の中へ』があって、いったん考えを整理したい時、気持ちを落ち着かせたいとき、私はこの本を開く。東京に住んでいた一時期、屋久島の自然に強く憧れて、屋久島に関する本を図書館で借りては読んでいたことがあった。当時、実際に行くことはかなわなかったので、本を読んだり、写真を見ることで衝動的な気持ちを押さえていたのだ。
そのなかで屋久島に暮らす著者の随筆集『ここで暮らす楽しみ』や写真家・山下大明氏との写文集『水が流れている』に出会い、著者の生命や自然に関する文章に感銘を受けた。そして続けて読んだのが本書だ。
もともとは山と溪谷社の月刊誌であった『Outdoor』誌(2001年休刊)に1999年から2001年にかけて連載され、本書はそれをまとめたもの。連載終了直後に山と溪谷社から出版され、その後2012年に野草社から再刊行されている。今、私の手元にあるのは野草社のものだ。
親和力が私を山へ導く
山尾さんの本は哲学的で私には難しいところもあり、どこまで読み込めているのかわからないが、文章のなかに、頭の奥の、モヤモヤして言葉にできないものを、自分の代わりに言葉で表現してくれるようなところがある。よく「登山の魅力は何か、どうして山へ行くのか?」と聞かれ、この禅問答のように難しい質問に、私は決まって答えに窮するのだが、本書の中で山尾さんはこう書いている。
「なぜかは分からないが、ぼく達は森に魅かれて森に入る。川に魅かれて川へ行く。海に呼ばれて島に住む。《親和力》という大いなる不可思議な力が、ぼく達をしてそこへ導いているとしかいいようがない」。
親和力とは「なにごとかの対象に魅き入れられていく力」だとあるが、まさに、私がこれだけ山に惹かれるのは、この親和力によるものではないかと思う。私の気持ちの中に、それこそ自分でも説明できない不可思議な力があって、それが山に対して大きく動いているのだ、と考えると少し納得できる気がするのだ。
山尾さんは「山歩きや森歩きの楽しみのひとつは、ぼく達が人里の境界を超えて野生の懐そのものへと踏みこんでいく時に聞こえてくる、自然物達のささやきに耳を傾けることである」といい、山に登ることによって、人はゆるやかに野生を取り戻すのだというが、私はこの部分に共感する。私にとっての本当の登山の楽しみは、達成感とかそういうことではなく、一時的であっても山という大きな自然との距離が縮められることにあると思うからだ。そして山に登ることによって、普段はあまり意識することのない自分という存在を感じられることにあるように思う。
この本を開くと、山の景色も、足元に転がる石も、それがその形になるまでに壮大な出来事の積み重なりがあるのだということを教えてくれる。そして、自分も森羅万象の中、つまり「この世界に存在しているすべての物事や、この世界に引き起こされてくるすべての現象」の一部にすぎないという、当たり前でありながら、普段、忘れてしまっていることを自覚させられ、少し考えを原点に戻せる気がする。