加藤薫「遭難」の魅力
ヤマケイ文庫『闇冥 山岳ミステリ・アンソロジー』レビュー①
異色の山岳小説傑作選として話題の『闇冥(あんめい) 山岳ミステリ・アンソロジー』。収録作品は松本清張「遭難」、新田次郎「錆びたピッケル」、加藤薫「遭難」、そして森村誠一「垂直の陥穽」の4作です。
今回は山岳小説に造詣が深く、山岳エンタメ専門サイト「ヴァーチャル・クライマー」を主宰するGAMO氏に、加藤薫「遭難」の魅力について語っていただきました。
加藤薫という作家の名前を聞いたことのある人は、あまり多くはいないだろう。加藤は1969年に「アルプスに死す」でオール讀物推理小説新人賞を受賞して文壇デビュー。その後、大学山岳部を舞台にした短編ミステリーを立て続けに発表し、「雪煙」や「ひとつの山」といった単行本を出版したものの、1974年を境に、突然名前を見かけなくなった。なぜ、わずか5、6年で筆を折ったのか、理由は分からない。その加藤が、新人賞受賞後最初に執筆した作品が、本作「遭難」である。
舞台は海抜3000mの北アルプスK峰、とある年の12月下旬のこと。江田たち大学山岳部員6人は、北尾根隊と東尾根隊に分かれて、2ルートからK峰登頂を目指した。しかし、折悪しく急襲した低気圧による吹雪に見舞われ、風邪でアタックを諦めた北尾根隊の江田と、経験不足でテントキーパーとして残った東尾根隊のタゴサクこと小浜道子以外の4人が、帰らぬ人となった。風邪薬を飲んだ江田が寝過ごしたために朝の気象通報を聞きそびれ、低気圧の到来に気付くのが遅れたことが、遭難の一因だった。それ以来、江田は自らの失態を悔み、タゴサクの心ない言葉に苦しみ続けた・・・・・・。
大学時代山岳部に所属していた加藤の作品には、往年の山好きにはたまらないであろう登山や山岳部にまつわる数々のエピソードが登場する。本作も、そうしたおもしろさに加えて、確かな知識に裏打ちされた登山描写、仲間を遭難死させてしまった男の繊細な心理描写など読み応え十分。直木賞の候補に挙がったのもうなずける。当時、まだ登山ブームが続いていたことを考えると、加藤作品の人気も高かったことだろう。
しかしながら本作は、加藤自身の過去を抜きに語ることはできない。「遭難」発表から遡ること約14年。まだ大学生だった加藤は、1955年の暮れから翌年正月にかけて、大学山岳部員8人とともに、鹿島槍ヶ岳に出かけている。東尾根ルートを登った加藤ら3人は無事登頂し下山したものの、天狗尾根伝いに山頂を目指した5人は、テントキーパー以外4人が行方不明となった。この事件の詳細、真相は分からない。しかし、この事実から言えることは、「遭難」の主人公江田は加藤(本名:江間俊一)自身であり、「遭難」という作品は加藤が最も書きたかった作品、いや書かずにはいられなかった作品だということだ。
作品の中で加藤は、生き残った江田の心情をこう書いている。「ひとり生き残って幸運を受けては済まぬという気持ちがさきにたった」と。取りも直さず、この思いは加藤自身がそれまで生きてきて感じ続けてきた悔恨の思いに他ならない。そして、筆者の勝手な憶測だが、江田に心ない言葉を投げつけるタゴサクという登場人物もまた、加藤の分身ではなかろうか。「殺したのはあなただ」「なぜ助けに行かなかった」。その自責の念が、ずっと加藤を苦しめ続けていた。
ところが、江田を責め、苦しめ続けたはずのタゴサクが、15年経ってそのことを忘れている。すっかり肥えて、二児の母になっていた。事件を悔み続けている加藤と、幸運になろうとする加藤。その葛藤もまた加藤を苦しめていた。本作を読む限り、15年という歳月を経て、文学作品として己の苦しみをさらけ出しても、加藤の悔恨の思いは昇華されていない。
加藤は、雑誌『山と溪谷』で半年間連載した代表作「ひとつの山」の出版を最後に、作品を発表していない。幸運になろうとする自分を戒めるために筆を折ったというのは、筆者の考え過ぎであろうか。苦悩の中で生き続ける男の混沌とした思いを、本作から感じ取って欲しい。
(文=GAMO/ヴァーチャル・クライマー)
※次々週、2月28日の週刊ヤマケイでは、登山ガイド木元康晴さんによる本書のレビューをご紹介する予定です。