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加藤薫「遭難」の魅力

ヤマケイ文庫『闇冥 山岳ミステリ・アンソロジー』レビュー①

ヤマケイ文庫『闇冥 山岳ミステリ・アンソロジー』/馳 星周=選/松本清張、新田次郎、加藤薫、森村誠一=著/980円+税/2月23日発売/352ページ/ISBN=978-4-635-04859-0

異色の山岳小説傑作選として話題の『闇冥(あんめい) 山岳ミステリ・アンソロジー』。収録作品は松本清張「遭難」、新田次郎「錆びたピッケル」、加藤薫「遭難」、そして森村誠一「垂直の陥穽」の4作です。

今回は山岳小説に造詣が深く、山岳エンタメ専門サイト「ヴァーチャル・クライマー」を主宰するGAMO氏に、加藤薫「遭難」の魅力について語っていただきました。

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加藤薫という作家の名前を聞いたことのある人は、あまり多くはいないだろう。加藤は1969年に「アルプスに死す」でオール讀物推理小説新人賞を受賞して文壇デビュー。その後、大学山岳部を舞台にした短編ミステリーを立て続けに発表し、「雪煙」や「ひとつの山」といった単行本を出版したものの、1974年を境に、突然名前を見かけなくなった。なぜ、わずか5、6年で筆を折ったのか、理由は分からない。その加藤が、新人賞受賞後最初に執筆した作品が、本作「遭難」である。

舞台は海抜3000mの北アルプスK峰、とある年の12月下旬のこと。江田たち大学山岳部員6人は、北尾根隊と東尾根隊に分かれて、2ルートからK峰登頂を目指した。しかし、折悪しく急襲した低気圧による吹雪に見舞われ、風邪でアタックを諦めた北尾根隊の江田と、経験不足でテントキーパーとして残った東尾根隊のタゴサクこと小浜道子以外の4人が、帰らぬ人となった。風邪薬を飲んだ江田が寝過ごしたために朝の気象通報を聞きそびれ、低気圧の到来に気付くのが遅れたことが、遭難の一因だった。それ以来、江田は自らの失態を悔み、タゴサクの心ない言葉に苦しみ続けた・・・・・・。

大学時代山岳部に所属していた加藤の作品には、往年の山好きにはたまらないであろう登山や山岳部にまつわる数々のエピソードが登場する。本作も、そうしたおもしろさに加えて、確かな知識に裏打ちされた登山描写、仲間を遭難死させてしまった男の繊細な心理描写など読み応え十分。直木賞の候補に挙がったのもうなずける。当時、まだ登山ブームが続いていたことを考えると、加藤作品の人気も高かったことだろう。

しかしながら本作は、加藤自身の過去を抜きに語ることはできない。「遭難」発表から遡ること約14年。まだ大学生だった加藤は、1955年の暮れから翌年正月にかけて、大学山岳部員8人とともに、鹿島槍ヶ岳に出かけている。東尾根ルートを登った加藤ら3人は無事登頂し下山したものの、天狗尾根伝いに山頂を目指した5人は、テントキーパー以外4人が行方不明となった。この事件の詳細、真相は分からない。しかし、この事実から言えることは、「遭難」の主人公江田は加藤(本名:江間俊一)自身であり、「遭難」という作品は加藤が最も書きたかった作品、いや書かずにはいられなかった作品だということだ。

作品の中で加藤は、生き残った江田の心情をこう書いている。「ひとり生き残って幸運を受けては済まぬという気持ちがさきにたった」と。取りも直さず、この思いは加藤自身がそれまで生きてきて感じ続けてきた悔恨の思いに他ならない。そして、筆者の勝手な憶測だが、江田に心ない言葉を投げつけるタゴサクという登場人物もまた、加藤の分身ではなかろうか。「殺したのはあなただ」「なぜ助けに行かなかった」。その自責の念が、ずっと加藤を苦しめ続けていた。

ところが、江田を責め、苦しめ続けたはずのタゴサクが、15年経ってそのことを忘れている。すっかり肥えて、二児の母になっていた。事件を悔み続けている加藤と、幸運になろうとする加藤。その葛藤もまた加藤を苦しめていた。本作を読む限り、15年という歳月を経て、文学作品として己の苦しみをさらけ出しても、加藤の悔恨の思いは昇華されていない。

加藤は、雑誌『山と溪谷』で半年間連載した代表作「ひとつの山」の出版を最後に、作品を発表していない。幸運になろうとする自分を戒めるために筆を折ったというのは、筆者の考え過ぎであろうか。苦悩の中で生き続ける男の混沌とした思いを、本作から感じ取って欲しい。

(文=GAMO/ヴァーチャル・クライマー)

※次々週、2月28日の週刊ヤマケイでは、登山ガイド木元康晴さんによる本書のレビューをご紹介する予定です。

講演会『カミサマホトケサマ 国東半島に暮らす』

2月16日(土)、東京・江東区で開催

国東の六郷満山の峯入りで、険しい山道を回峰する行者たち

ヒマラヤやチベットの自然や文化について発信する集い・カワカブ会が、写真家の船尾修さんを講師に招いて講演会を開催します。

神仏習合の文化が色濃く残る大分の国東(くにさき)半島。そこに暮らす写真家の船尾修さんに、国東での暮らしとその特異な文化について、写真を交えながらお話しいただきます。

カワカブ会の活動でチベットの聖地を旅していると、チベット仏教に結びついた八百万の神の存在を強く感じます。日本の神さまと仏さまは、本来どのように結びついていたのでしょうか。

船尾さんはアフリカ長期旅行ののち、国東半島へ移住して、農業を営みながら家族4人で暮らしています。近年は『カミサマホトケサマ』と『フィリピン残留日本人』の写真集で、続けて写真賞を受賞されました。この機会にぜひ船尾さんのお話を聞いてみませんか?

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カワカブ会の講演会『カミサマホトケサマ 国東半島に暮らす』

日時:2月16日(土)10:00~13:00ごろ(開場9:40)

会場:江東区文化センター(第1研修室)

東京都江東区東陽4-11-3

講師:船尾修さん(写真家、国東在住)

会費:1000円(学生500円)

主催:カワカブ会(代表小林尚礼)

※予約不要ですが、資料準備のため参加人数をお知らせください。

小川誠写真展「エベレスト登頂者が撮った 3000mのドラマ 北アルプス」

2月22日(金)~、東京、大阪、名古屋で開催

槍ヶ岳 冬(小川 誠)

『3000mのドラマ 北アルプス 小川誠写真集』2019年1月17日発売/A4変形判/88ページ/3400円+税

写真集『3000mのドラマ 北アルプス』をこの1月に山と溪谷社より刊行した山岳写真家・小川誠さんの写真展が2月22日から東京、大阪、名古屋で順次開催されます。

「山の表面的な美しさだけでなく、一歩踏み込みその素顔に迫り、山の厳しさ、怖さを体験した自分だけが撮れる〝山〟を表現したかった」と語る小川誠さん。40年間撮り貯めた穂高連峰、槍ヶ岳そして剱岳を中心にした作品群を、心を込めて発表する写真展です。一枚一枚の作品から圧倒的な感動と刺激を受けられることでしょう。

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東京

会場:富士フィルムフォトサロン東京・スペース1

日時:2月22日(金)~2月28日(木)10:00~19:00(最終日は16:00まで)

入場無料

ギャラリートーク:毎日14:00より

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巡回展

1)大阪

会場:富士フィルムフォトサロン大阪スペース2

日時:3月8日(金)~3月14日(木)10:00~19:00(最終日は14:00まで)

ギャラリートーク:3月8日(金)、9日(土)及び10日(日)の14:00より

2)名古屋

会場:富士フィルムフォトサロン名古屋

5月24日(金)~5月30日(木)10:00~19:00(最終日14:00まで)

ギャラリートーク:5月24日(金)、25日(土)及び26日(日)の14:00より

(文=松原貴代司/山岳同人四季)

日本山岳写真協会による一般公募のお知らせ

3月16日(土)~3月25日(月)

2018年準特選作品「雲間からのぞく天の川」(写真=猪原寛)

2018年準特選作品「槍ヶ岳夕照」(写真=宮下 剛)

山岳写真をテーマとした創作、研究、発表などを行う伝統ある作家集団、日本山岳写真協会では、山岳写真愛好家に発表の場を開くために、毎年一般公募を行っています。

特選には10万円、総額20万円の賞金・賞状があり、入選作品は8月31日より東京都美術館で開催される写真展に全紙サイズにて出展されます。2018年には337点の応募があり68名の方が入選されて、8月31日より東京都美術館で開催された写真展に全紙サイズで展示されました。同時に無審査での日本山岳写真協会会員への入会資格を取得されました。

募集期間は2019年3月16日から3月25日の期間内に、宅配便かゆうパックなど記録の残る方法で下記まで送付してください。

宛先:日本山岳写真協会 公募係

〒160-0008 東京都新宿区三栄町6 第一原嶋ビル502号室

題材は四季の山岳景観・山野の動植物、応募作品はA4または六切りサイズにプリントを1人10点以内。

その他の応募規定詳細は募集要項(ホームページにも掲載)をご覧ください。

http://www.japa.server-shared.com/

なお、ご不明の点がありましたら下記にてお問合せください。

japa_kobo@yahoo.co.jp

(文=伊藤哲哉/日本山岳写真協会)

知床半島・知床岳

2泊3日、知床半島縦走計画

東岳下部から望む、目的地の知床岳(写真=谷水 亨)

2日目のキャンプ地から東岳を望む(写真=谷水 亨)

2月9日~11日

史上最強の寒波が襲った北海道にあって、さらに気象条件の厳しい知床半島縦走計画(東岳~知床岳)2泊3日の計画に参加させてもらいました。昨年は羅臼岳南西ルンゼから東岳の縦走をしていたため、私にとっては、そこから知床半島先端を目指す第2弾の計画です。

昨年東岳から下山したルート標高差1500mを登りましたが、私は体調不良で汗が止まらず、仲間についていくのがやっとで、東岳山頂付近で登れなくなり、山頂に立ったときは震えが止まらず、低体温症の症状が現れました。

戻るかC1場所に急ぐか、リーダーの判断で680m降りたところでC1とし、身体を温め、カロリーの摂取で体調を戻すことができました。

2日目はメンバーの一人の指先が軽度の凍傷となり、多難の出発に加えて、ルートファインディングに苦労しました。広々とした樹林帯の中や細稜線で降雪が少ないため、ハイマツ帯ではツボ足で踏み抜き、スキーを履けばクラストした斜面で登れなくなる悪条件です。計画したC2場所まで行けず、783ピーク手前でテントを張りました。テント内での協議で知床岳を諦め、エスケープルートを探します。結果、先に進んだエスケープ箇所より、この場から海岸に下りた方が最良と考えました。

3日目は地図とコンパス、細部はGPSを駆使してそのまま海岸に向けてルートファインディングをします。知床半島の特長として、海岸線はほとんどが崖のため下りられる所が限定されます。結果、車のデポ地から3.6km離れた所に下山しました。

(文=谷水 亨/北海道アウトドア夏山ガイド認定者)

蔵王・刈田岳、熊野岳

登りは山スキーで苦戦したものの

ライザワールドスキー場ゲレンデトップから馬の背に向かう途中(写真=中村重明)

熊野岳山頂、熊野神社(標高1841m)(写真=中村重明)

2月6日、曇り時々晴れ

山形蔵王の樹氷目当てに、蔵王ライザワールドのゲレンデトップから刈田岳と熊野岳を往復しました。この行程は過去に何回かスノーシューで歩いていますが、今回は山スキーを利用しました。

天候はあいにく曇りで期待のスノーモンスターは晴天時より鮮やかさに欠けたものの、それでも見ごたえ充分でした。ただし、アイゼン/スノーシューでの登山なら問題にならなかったかもしれないものの、今回は山スキーのため、硬くクラストしかつ大きく波打つ雪面には大いに苦戦しました。登りではツボ足やスノーシューの登山者に追いつけない感じでした。

刈田岳と熊野岳の山頂を踏んだ後、快適に華麗に滑降といきたいところでしたが、下りでは凍った雪面に大苦戦。足を思い切り踏ん張りながら、ほとんどボーゲンで下山。脚がかなり疲労しました・・・・・・。

とはいえ、ゲレンデトップからは整地されたゲレンデを気持ちよくあっという間に滑降できました。トータルでは、スノーシュー登山より山スキーの方が満足度は高かったと言えるかもしれません。

(文=中村重明)

那須連峰・茶臼岳

春の陽気となり雪山入門者でにぎわう

茶臼岳山頂、バックの山は三本槍岳(写真=野村 仁)

剣ヶ峰のトラバースは雪崩の危険がある(写真=野村 仁)

2月3日、晴れ、午後遅く曇り

大丸温泉駐車場から往復しました。多くの人は出発からアイゼンを装着していましたが、通常、少なくとも峠ノ茶屋まではアイゼン不要です。峠ノ茶屋からひと登りすると森林限界地点で、氷雪、岩、矮小化した灌木の高山的景観が広がります。

峰ノ茶屋跡からはピッケル、アイゼンで茶臼岳をめざします。氷雪混じりの岩場の上にていねいに足場を選んでいくのは、アイゼンワーク(ミックス)のよい練習になります。

頂上ではやや雲がかかっては、飛び去り消えてゆくダイナミックな天候でした。遠く上越・会越や日光方面の白い山脈が見えていました。

力のある人には、峰ノ茶屋跡から朝日岳往復(約2時間)も充実します。その場合、手前の剣ヶ峰は、原則として稜線沿いに直登ルートをとります。この日も雪の急斜面をトラバースする人が多くいましたが、雪崩の危険があるのでやめたほうがいいです。

(文=野村 仁/編集室アルム)

八ヶ岳・赤岳

雪が少ない地蔵尾根を登り快晴の山頂へ

赤岳頂上から見た阿弥陀岳。中央に写る人物は、赤岳西壁を登るクライマーです(写真=木元康晴)

中山展望台から見上げた赤岳(写真=木元康晴)

2月9日~10日、9日曇りのち雪、10日晴れ

雪山登山としてとてもポピュラーな、八ヶ岳の赤岳を登ってきました。コースは地蔵尾根のピストンでした。

初日は雪の舞う中、美濃戸口から南沢の登山道を歩いて行者小屋へ。この日はこの行者小屋に泊まったのですが、3連休ながらも比較的空いていて、余裕をもってこたつを使うこともでき、とても快適でした。

2日目の天気は快晴で、小屋前の温度計は氷点下17度を示していました。出発時はとても寒かったものの、地蔵尾根下部の樹林帯を登るうちに体は温まり、2つのハシゴと斜上する鎖場を次々と越えていきます。

雪は少なく、いつもはナイフリッジになっている地蔵ノ頭直下も、安定した雪質で難なく通過。赤岳天望荘の先からは、長く続く斜面を慎重に登って、多くの登山者で賑わう頂上に立ちました。

下山は行者小屋から中山乗越に向かい、中山展望台へ。登ってきたばかりの赤岳の姿を写真に収め、歩きやすい北沢の登山道をたどって美濃戸口に戻りました。

(文=木元康晴/登山ガイド)

八ヶ岳・赤岳

赤岳鉱泉を利用して赤岳を周回

地蔵尾根の核心部を抜けての展望(写真=小山貴之)

地蔵ノ頭より赤岳を正面にとらえる(写真=小山貴之)

2月9日~10日、9日雪、10日晴れ

初日は寒波の影響もあり荒天予報のため遅めに八ヶ岳山荘を出発。11時ごろより雪となりました。北沢経由で赤岳鉱泉到着後はのんびりと過ごし翌日に備えます。夜には国際山岳医、長野県遭対協の方々による講話があり、遭難に備えた装備の見直しや低体温症への備えなど貴重な内容を拝聴しました。

翌日は冬型の気圧配置が緩んで朝から好天となり、積雪はほとんど増えず良いコンディションです。行者小屋へ向かい装備を整え、地蔵尾根から赤岳を目指します。

地蔵尾根は急登の連続で、核心部となる鎖場もあるため一歩一歩確実に進みました。稜線直下ではそれまで見上げていた阿弥陀岳と視線を並べ、雪煙あげる赤岳に引き込まれました。展望荘をあとに赤岳への最後の登りを終え無事登頂。好天のなか素晴らしい展望を得ることができました。文三郎尾根から下り、これまで歩いたルートを一望しながら行者小屋で大休止。南沢経由で下山しました。

3連休の中日ともあって山域は登山者でにぎわっていました。赤岳を中心とした南八ヶ岳は比較的アクセスも良いのですが、険しい厳冬期登山となる山域です。12本アイゼン、ピッケルはもちろんですが、岩稜帯のルートもあるためヘルメットの装着を推奨します。南沢、北沢まではチェーンスパイクや軽アイゼンが歩きやすいかと思います。

(文=小山貴之/長野県自然保護レンジャー)

上信国境・根子岳

視界不良ながらルートはかなり明瞭でした

ゲレンデトップ(標高1597m)からスタート。スノーキャットで圧雪されていて、ツボ足でOK(写真=中村重明)

スノーキャット終点手前(標高約2170m)にて、この日最も雪を多くまとっていたスノーモンスター(写真=中村重明)

2月9日、曇りのち雪

奥ダボススノーパークの第1トリプルリフト終点(標高1600m)から根子岳(標高2207m)をピストンし、さらにリフト下(標高1430m)まで歩いて下山するという行程を歩いてきました。約3時間半の雪山初級コースです。

天候は曇りのち雪で、山頂では気温マイナス約11℃、最大風速約9m/sというあいにくのコンディション。晴れていれば見られたはずの北アルプスはおろか、浅間山もお隣の四阿山すらも見られずじまいでしたが、美しい霧氷や迫力あるスノーモンスターの景観が楽しめました。

この日、スノーキャット(第1トリプルリフト終点から山頂直下まで運行する雪上車)は「山頂付近悪天候のため「避難小屋」まで」の運行でした。登りの中間地点あたりからは吹雪で視界不良の状況だったものの、前日以前の雪上車のトレースや豊富な道標のおかげでルートはかなり明瞭。携行したスノーシューやわかんは使わずじまいで、アイゼンないしチェーンスパイクで圧雪されたルートを快適にたどることができました。

スノーキャットの終点から山頂までも一部は地吹雪でわかりにくくはあったものの、おおむねしっかりしたトレースがあり、アイゼンでOKでした。

山頂を踏んだ後は早々に、風がさえぎられたスノーキャット終点まで戻り温かい昼食で体力を回復し、ゲレンデ下まで、続々と登ってくる登山者やバックカントリースキーヤーやボーダーとすれ違いながら下山しました。

(文=中村重明)

山梨県・大菩薩峠、大菩薩嶺

静かな峠みちを歩くスノーハイク

峠から南アルプスの展望。甲斐駒から聖岳、上河内岳、笊ヶ岳まで(写真=野村 仁)

雷岩の登山者たち。風が冷たく寒かった(写真=野村 仁)

2月10日、晴れ

前日、関東地方が雪の予報だったので、ワカン持参で大菩薩へ出かけました。雪は期待外れでしたが、静かな峠みちのスノーハイクを楽しむことができました。

古くからの峠みちの雰囲気を味わうためには、表登山道である上日川峠経由で大菩薩峠へ登るルートがおすすめです。古道を連想させる絶妙な道幅と、周辺の山深い雰囲気、巨樹もチラホラと残った自然林の林相も大変すばらしかったです。

大菩薩峠近くになると丈の短い草原が多くなり、富士山や南アルプス、八ヶ岳、奥秩父西部のパノラマが展開します。特に南アルプスは甲斐駒ヶ岳から聖岳、上河内岳あたりまで展望できて、さながら南アルプスの展望台です。

積雪が少なければ(30cm以下など)トレッキングシューズにロングスパッツ、6本爪アイゼンの装備でも歩くことができます。7~8時間行程になりますので、体力に自信がないかたは小屋泊まりで計画してください。

(文=野村 仁/編集室アルム)

房総・鋸山

鋸山に房州石の歴史を訪ねる

観月台付近から東京湾を望む。富士山頂上付近も見えた(写真=伊藤哲哉)

上左:石切場跡付近から地獄のぞきを仰ぎ見る 上右:鋸山山頂では登山者たちが眺めを楽しんでいた 下左:車力道の分岐で小休止をする登山者たち。ここから車力道が始まる 下右:轍が刻まれた石。かつての女性たちの努力の証だ。(写真=伊藤哲哉)

2月10日、晴れのち曇り

雪景色の石切場跡の撮影に鋸山を登りました。浜金谷駅から観月台コースを登り始めると、登山道では珍しくうっすらと雪が残っていました。房総としてはとても寒く、防寒して歩き始めます。登山道では凍っている箇所で時々滑りそうになり、慎重に歩きます。

石切場跡に着くと石切の重機に雪が積もっていて、置き去りになっているその姿に寂しさと冷たさを一層感じました。急登の階段を登り、東京湾を望む展望台では、三浦半島の街並みや房総の山々を一望することができましたが、霞んでいて富士山を見ることは叶いません。

山頂にも雪が残っていましたが、正午近くになると暖かくなり、登山道の雪はほぼ溶けてしまいました。

下りは車力道をおります。車力道は、鋸山で切り出された房州石を麓まで運び降ろした道を登山道として整備した道です。車力とは房州石を運ぶ人のことで主に女性の役割でした。1本80kg以上もある房州石3本を「ねこ車」という木の荷車に積み、石を敷き詰めた急な坂道をねこ車の後ろを引きずりブレーキをかけながら一日三回、麓の港まで運んだようです。よく見ると坂道に轍ができていました。濡れていたこともあって轍が目立ち、この道の歴史を感じ取ることができました。

車力道を進んで館山道の陸橋をくぐるとまもなく観月台コースの登山口に着きます。

(文=伊藤哲哉/『改訂新版 千葉県の山』共著者)

丹沢・蛭ヶ岳

低気圧の通過が残した霧氷の贈り物

低気圧通過の翌朝。みごとな霧氷が残り、北丹沢の峰々が後方に富士山や南アルプスを従えて白く輝いていた(写真=白井源三)

蛭ヶ岳山頂より。塔ノ岳からの丹沢主脈が蛭ヶ岳山頂の霧氷越しに広がり、相模湾には江の島が浮かぶ(写真=白井源三)

2月9日~10日、晴れ

入山した日の登山道は例年なら霜解けのどろどろ道になっているはずですが、暖冬のせいか、今年はぬかるみが少なく快適に歩くことができました。

国道413号から相模原市緑区の青根地区から林道ゲート脇に駐車し、八丁坂ノ頭ルートを分けてその奥の釜立沢ルートを登ります。以前は東海自然歩道のサブルートとして使われていたこのコースを登る登山者が年々増えているように思われます。駐車している車のナンバーも他県が目立ちます。

まず焼山からの丹沢主脈ルートと合流する青根分岐(少し下方に黍殻山避難小屋があります)に登り、緩やかな尾根を詰め、姫次の手前でやっと日陰に残雪をのぞきました。姫次から下った原小屋平手前では昨年の台風で倒壊した松の巨木が痛々しく横たわっています。落葉した樹林帯の原小屋平から地蔵平を進みます。積雪の多い時のルートファインディングは鹿除けフェンスの両脇を確認して通過するといいでしょう。蛭ヶ岳直下の急斜面に付けられた階段の登りでは濃霧の登りとなり、山頂は石が露出しているくらいの積雪でした。

蛭ヶ岳山荘は20数人の宿泊者でにぎやかでした。盛岡や四国から若い女性グループがはるばる登ってきていました。丹沢も全国的な山域になったものと実感した宵となりました。またこの夜の宿泊者を見ると、若い登山者が目立ち、丹沢でも世代交代が進行中でうれしく思います。名物の夜景は見られず、8時まで談笑の時を過ごしました。

翌朝5時に起床すると、小屋の窓からも都心から小田原までの夜景の広がりが見えて宿泊者は歓声をあげていました。朝食の後は低気圧の通過が残した霧氷の贈り物を堪能しました。

西丹沢の檜洞丸、表丹沢の塔ノ岳、姫次から焼山方面とそれぞれ縦走が続く宿泊者の下山でした。私はマイカー登山のため、ピストンで姫次まで富士山を後方に山中の霧氷を楽しみながら下っていきます。

連休の中日、公共の交通手段が不便な青根や焼山から登ってくる登山者と多くすれ違い、このルートが再確認された思いでした。(昨年の台風で崩壊した国道413号線(どうし道)は現在も青根まで不通で、413号途中の平丸からいやしの湯手前上部(県道76号)で合流して青根に出られます。JR橋本駅か相模湖駅~三ヶ木発バスで終点平丸まで乗り、焼山か平丸経由で蛭ヶ岳へ登るルートもあります)。

(文=白井源三/『神奈川県の山』共著者)

富士山・双子山

今年の富士山は極端に雪が少ないです

濃霧の晴れ間に(写真=松原貴代司)

2月5日、濃霧一時晴れ

予報の快晴とは大違い、この日は黒っぽい雲が低く垂れこめていました。富士山御殿場口登山道入口そばに運よく一台分のスペースが残っていましたのでそこに駐車させていただき、8時過ぎに濃霧の中を出発。

視界はせいぜい3mあまり、登山道ではありませんので疎林の中のわずかな踏み跡を頼りに進みますが、薄い積雪のために途中で踏み跡を見失ってしまいました。

ただ、登っていれば大石小屋と双子山を結ぶ登山道に行きつくはずと判断し、そのまま登高を続けます。

迷いながら2時間弱登ったところで、一瞬霧が晴れ富士山と双子山が見え現在地を確認できましたが、想定していた場所より南方面へ1km以上ずれていました。

それにしても、今年の富士山は極端に雪が少ないです。例年であれば山スキーの方々がたくさん登下降する場所ですが、あたりは火山礫がむき出しでした。ただ、30分間ほど続いた晴れ間に葛飾北斎が遺した縞模様の富士山の珍しい姿を撮影できました。

その後、アラレ交じりの風雪になってきましたので撮影はあきらめ、下双子山を往復して下山しました。下双子山の山頂には積雪がまったくありませんでした。

(文=松原貴代司/山岳写真同人四季)

伊豆・沼津アルプス

横山と徳倉山の鞍部に桜が2本開花しています

千金岩から見る「値千金」の景色。駿河湾越しの猫越火山連峰(写真=林 陽平)

道中この2本だけですが、桜が開花していました(写真=林 陽平)

2月7日、晴れのち曇り

長期予報を眺めながら暖かい晴天の日を選び、沼津アルプスを縦走しました。雪山ばかり通っていると、時に暖かな山が恋しくなります。

沼津駅から黒瀬までバスで移動し、香貫山登山口から入山。北行ルートで富士山を前方に眺めながらのコースも魅力ですが、帰りがけに沼津港に立ち寄ってのグルメも捨てがたく、今回は南行ルートを取ります。沼津アルプスは最高峰「鷲頭山」でも標高は392mとその高さから甘く見られがちですが、「山高きが故に貴とからず」、香貫山から大平山まで累積標高は約1100m余りと1日で周るにはなかなか骨のあるコースです。それも総距離12.5kmの短さですので、1座ごとの登下降は急斜度です。しかもこの日は前夜の雨でぬかるんだ斜面が非常に滑りやすく、私も要所に設置されたフィックスロープを掴み、慎重に歩を進めざるをえませんでした。

それでも徳倉山から鷲頭山にかけての稜線(寝そべった像の背中部分)は歩きやすく、駿河湾の輪郭の向こうに広がる太平洋と後ろには大きな富士を眺めながら心地の良いハイキングです。

最後は多比口峠から大平山までピストンをし、多比バス停へと下山。そこから沼津駅行きのバスに乗って二瀬川で下車、沼津港でもう一つの楽しみ、海鮮料理を味わい帰路に着きました。

(文=林 陽平/登山ガイド、スキーガイド)

妙高周辺・大渚山

パウダースノーを巻き上げながら快適な滑走

大渚山山頂(写真=増村多賀司)

上左:大渚山山頂近くのブナ 下左:思い思いにパウダースノーを楽しむ 右:中腹のブナ(写真=増村多賀司)

2月9日、曇りのち雪

小谷村大草連(標高785m)からシールをスキーに貼ってスタート。林道跡を北へ向かい、標高1000m付近で大渚山(1566m)から南南東に延びる尾根に乗ります。ここから山頂まで白く化粧したブナの森が続きます。

山頂部は森がとぎれて広々としていますが、弱い雪が降っていて残念ながら展望はありません。晴れていれば雨飾山が見えていることでしょう。

しかし、そのお陰で気温が低いまま軽い雪が残っていました。そのためこの日は北面へは行かず、南面の登りトレースに沿って滑ります。

下りは途中でメンバーがツリーホールにストックを落下させてしまい掘り出すハプニングがあったものの、パウダースノーを巻き上げながら快適な滑走に。登り2時間30分に対して下りは1時間もかかりませんでした。

(文=増村多賀司/長野県自然保護レンジャー、写真家)

鈴鹿・竜ヶ岳

すでに山全体が春山の様相?

山頂からの展望(御池岳と藤原岳)(写真=金丸勝実)

春を待つシロヤシオ(写真=金丸勝実)

2月5日、晴れ時々曇り

竜ヶ岳は、実にどっしりとした大きな山です。山頂付近は大きな樹木が育たず、笹原が広がっていて、冬は広々とした雪原になります。山麓からも積雪して白く輝く竜ヶ岳がよく見え、登山者を誘っています。

例年この時季は冬山の風景を楽しみに竜ヶ岳を登っていて、今年も良い天気を選んで登りました。昨年は断続的な寒波で積雪が多く、厳しいラッセルを強いられ山頂が遠かったのですが、今年は降雪が少なく、山頂部は春山のような状況になっていました。

この山域はアプローチが良く、積雪期でも登山口の宇賀渓谷まで車で入ることができます。登山ルートは、最近では金山尾根ルートと遠足尾根ルートがよく使われていて、積雪期も利用できます。今回は金山尾根ルートで山頂をピストンしました。

雪があったのは標高800m付近からで、アイゼンやワカンなどの装備の出番はありません。

この日は移動性高気圧にすっぽりと入っていたようで、穏やかな天気になり、この時季に山頂で食事ができたのは珍しいことでした。

山全体が春山の様相を呈し、冬山の風景を期待していたので、拍子抜けしてしまいました。

(文=金丸勝実/『三重県の山』著者)

宮崎県・冠岳

冠北岳に咲くミツバツツジの花に驚きました

暖かい日差しを浴びて開花したミツバツツジ(写真=池田浩伸)

そそり立つ岩壁にある第一展望所にて。眼下に流れる耳川と周辺の山々を望む(写真=池田浩伸)

2月4日

今年は雪が少ないので、それならいっそ暖かな宮崎の山に登ろうと、分県登山ガイド『宮崎県の山』を参考に冠岳を目指しました。

登山口に設置された、冠岳の動植物や登山道案内を読んで登山開始。分県登山ガイドに書かれたコースを進みます。

冠北岳分岐からひと登りで展望が開ける場所に出ますが、そこには4月中旬から咲き始めるミツバツツジの花が咲いていて驚きました。そそり立つ岸壁の上からは延岡の行縢山などの展望を楽しみます。汗ばんだ体に風が心地よく感じ、初夏を思わせる気候でした。

アクセスもよく駐車場も広く、随所に案内板があり初心者でも安心して楽しめる山です。途中には「槍岩・岩天」などの興味をそそる案内板もあり、次回の目標もできました。

(文=池田浩伸/登山ガイド)

熊本県・小岱山

有明海彼方の展望を満喫した登山

観音岳山頂から望む有明海と雲仙岳(写真=松本高志)

上左:観音岳山頂の展望所から雲仙岳の眺望を望む 上右:唐戸岩から有明海と雲仙岳を望む 下左:丸山から観音岳へ向かう途中のヤブツバキの道 下右:丸山展望所から二ノ岳・三ノ岳方面を望む(写真=松本高志)

2月10日、晴れ

熊本市での同窓会翌日の帰り道、あまりに天気が良かったので小岱山(しょうだいさん)に登ってきました。

小岱山は玉名市・荒尾市・南関町にまたがる山域の総称で、主なピークは筒ヶ岳、観音岳、丸山です。近隣には大河ドラマで話題になっている金栗四三の出身地、和水町があります。

今回は玉名登山口から丸山を経て観音岳へ登りました。人気の山だけに駐車場はほぼいっぱいでした。丸山キャンプ場を抜けて丸山に向かいます。

丸山の展望所からは南側が開け、二ノ岳・三ノ岳の秀麗な山並みが望めました。丸山から観音岳までは気持ちのいい照葉樹林に囲まれた稜線歩きが続きます。途中、ヤブツバキの美林を抜け、急な階段を越えていくと観音岳山頂に到着です。

広々とした観音岳山頂ではファミリーなど多くの人が弁当を広げていました。山頂からは西南の展望が開け、運のいいことにこの日は有明海の向こうに雲仙岳がきれいに見えました。何度か登っていますが、雲仙岳をはっきりと見ることができたのは初めてで、その雄大な景色にしばらく見とれていました。

下山は唐渡岩コースを下りました。唐渡岩は観音岳山頂から西に200mほど下ったところにある巨岩で、ここからも素晴らしい眺望が広がります。有明海の彼方の雲仙岳、多良山系の展望を満喫した登山でした。

(文=松本高志)

高尾山

節分会に参加してきました

上:1/27の富士。空気も登山道も乾燥していた 下:笠雲をかぶった2/3の富士(写真=葉山美和)

上:薬王院の節分会 下左:豆まきを待つ人々 下右:登山道に落ちていたキジョランの種(写真=葉山美和)

2月3日、晴れ

3日前に降雪があったので、この日は影響が少ないと思われる稲荷山コースを選びました。雪は登山口の日陰の階段に残っていただけで、日当たりの良いこのコースではすっかり溶けていました。1週間前に来た時はカラカラに乾いて土埃がたっていた登山道も、しっとりと湿り気を帯びかえって歩きやすくなっています。

ちょうど12時に山頂へ到着、富士山の展望にも間に合いました。

この日は山頂でホットワインを作りました。友人と3人でワイン、オレンジ、チーズなどを持ち寄り、プチ女子会です。

お腹を満たしたところで、薬王院に向けて下山します。舗装路に若干残雪があるものの、問題なく歩けます。薬王院本堂前では豆まき待ちの人だかり、後ろに並んでその時を待ちます。「節分会追儺式」が始まり老若男女が豆まきを楽しみました。

その後も雪の影響はまったく受けずに高尾山口駅まで下山しました。

(葉山美和/千葉県/よく行く山:中央線沿線の山、奥高尾)

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週刊ヤマケイ「表紙写真」「読者の登山レポート」「山の川柳」「よもやまばなし」応募要項

週刊ヤマケイでは、読者の皆さんから表紙写真、登山レポート、山の川柳を募集しています。また新たに「よもやまばなし」も募集します。ぜひあなたの作品をお送りください。

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●タテ位置で撮影した写真に限ります。

●横幅1200ピクセル以上のjpeg画像。

●写真に簡単な説明も添えてください。


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●本文200字~300字。1ヶ月以内の山行に限ります。できれば2週間以内の情報をお寄せください。国内・海外は問いません。山名・日程・天気を明記。登山道の様子や開花状況などもできるだけ盛り込んでください。

●写真キャプション(写真の解説を簡単なもので結構ですので付けてください)

●お名前(ふりがなもお願いします。匿名、ペンネームでの掲載は不可です)

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●郵便番号と住所

●登山歴

●よく行く山名、山域

※文字数を大幅に超えたものは対象外となります。掲載の目安は、投稿から約2週間です。掲載、不掲載についての事前連絡はしておりませんので、あらかじめご了承ください。


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「夏休み 孫と一緒に 百名山」

「お父さん 登山道具を 片付けて」

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