2021年06月25日(金)
こんにちは。
編集部の辻です。
待ちに待った金曜日ですが、明日からの週末、なんとか天気はもつでしょうか。
山に行かれる方は、お気を付けください。
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さて、『山と溪谷』7月号が現在発売中です。
もうご覧になりましたか?
今回は強烈な記事が載っています。
それがこれです。
藤原一考さんインタビュー記事。
この記事は、このブログでおなじみの編集部イトーさん渾身の企画です。
藤原さんは、登山、クライミング、ラフティングなどをそのまま楽しむのではなく、それを目的達成のための手段として、さまざまなことに挑んでいます。
北方領土・国後島最高峰に登るために、200m以上あるビルに登ったという話が特に衝撃的です。
「登山は手段。僕にとっては目的が重要」
「我々の大半はガイドブックに書いてある通りの山登りの楽しさしか知らない。既成の楽しみ方を超えた方法がまだあるはずだ。その方法が自分で見つけたものなら楽しさは何倍にもなる」(『山と溪谷』1983年2月号)
どちらも藤原さんの言葉です。
この言葉は登山や冒険の本質を表わした言葉に思えます。
登山を登山たらしめる最も重要な要素は、自分の身体を用いて山に登ることであり、自力で登ることだと思います。
現在の一般的な登山は、自力で行なう部分はわずかで、大きな部分を他力に頼っています。登山口までの交通機関、最先端の装備、整備された登山道やガイドブックなどがその他力です。
それらの他力に頼らず、自力で決めたり、行なったりする部分が大きいほど、登山としての純粋性が高いと思います。
登山としての純粋性が高いほど、他力に頼る部分が小さいほど、よりありのままの山と対峙することになります。
そうなると、その山と向き合うことが目的となり、登ることがそのための手段となると思います。その向き合う対象は山に限りません。
そうした対象との関係構築を目的とし、自らの身体を用いてその対象に接近していく行為を、冒険と呼ぶのだと思います。
藤原さんはそれを実践している人のように思います。
冒険を実践する人の行動の軌跡は、その人にしかたどれないものであり、その人自身のことを強く表わしています。
そのような人についての話を聞くと、とてもわくわくします。
今回の藤原さんの記事を読んで、私はわくわくを通り越してゾクゾクしました。
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ここまで、長々と私の勝手な考えを述べてしまいましたが、伝えたかったことは一つ。
この記事、おもしろいです。
私の中では、これまでに読んだ『山と溪谷』の記事の中で最も痺れました(これまでに読んだ量がそもそも少ないですが……)。
まだの方は、ぜひ読んでみてください。
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